【第2回】
まず褒める、そして叱る、褒める。威厳を持って。叱り方の極意
「どうやって叱ってもこの子は親の言うことを聞かないんです。困ってるんです。池上先生、助けてください」。こんな相談が毎日のようにある。「親の言うことを聞かない子が、どうしてあっという間に池上先生の言うことだけは聞くようになるんですか」という質問も受ける。
叱り方にもコツがある。叱り方の極意を詳しく伝授する。
まず、私はこのように答えている。「私はどんな子どもでも、その子の良いところしか目に入らないんです。どの子も素晴らしい何かを必ず秘めています。どの子も実は素晴らしい子なのです。どの子も本当は良い子なのです。ただ、その良い個所が隠れていて、なかなか他の人の目には見えにくいだけなんです」。
私はどんなにワルと言われている子でも、まずはその子を認めるところから始める。そして、何かひとつでも良いことが出来たら、とにかく褒める。周囲が「オーバーなんじゃないか」というほど気持ちをこめて褒める。
ABCが書けなかった子が書けるようになったら「パチ、パチ、パチ、パチ」と思いっきり拍手してあげる。そして「良かったね、○○君。ずーっと書けなかったABCがこんな短い時間で書けるようになったね。すごい成長だよ。先生うれしいよ」と褒めあげる。
子どもは褒めてくれる人の言うことは良く聞くものだ。そして、最近の子どもは褒めてもらう経験が少ない。親と会話をする時間自体が短いのだから、無理もない。
私が思いっきり褒めてあげると「池上先生、オレこんなに褒められたの初めて。勉強って楽しいんだね」と生徒のほうが感動してくれる。
こうなれば、放っておいても一生懸命勉強をするようになる。
その逆が、最初から叱ってしまうことだ。「なんで中3になってもABCが書けないの。今まで何も勉強してこなかったの。サボってばかりいたんだろ。こんなんじゃ、どこの高校も入れないぞ。一生懸命勉強しなさい」といきなり注意から始まる。
マイナスのことばかり言ってしまうのでは、勉強する気になるはずがない。ましてや、自分に対してマイナスのことを言う大人だという認識をしてしまうので、以後言うことを聞かなくなってしまう。
それでも子どもが渋々ABCを練習する。しかし、なかなか覚えられない。すると「どうしてこんな簡単なことが覚えられない。やる気がないのか」とすぐに怒る人がいる。これでは絶対に子どもは言うことを聞かなくなる。
まずは子どもを褒めること。怒ることから始めてはいけない。
10の時間があれば、子どもを褒めることに9の時間を使うべきだ。そして、残る1の時間は子どもへの注意に時間を使うべきだ。注意する時間と叱る時間は、できるだけ少ないほうが良い。褒めて、褒めて、褒めて、たまにどうしても注意しなければいけないことを注意して、また褒めて、褒めて、褒めるべきなのだ。注意は褒めることと褒めることの間にサンドウィッチすべきなのだ。
子どもはいつも自分を褒めてくれる大人が大好きなのだ。大好きな大人の注意ならば素直に言うことを聞く。「いつも褒めてくれる人の言うことは聞く」が子どもの大原則なのだ。
だが、この大原則にはひとつだけ条件がある。その条件とは「子どもがその大人を甘く見ていないこと」である。「いくら褒めてくれても、こんな大したことのない大人の言うことなんか聞いてられないよ」と子どもが思ってしまっては、褒めても意味がなくなってしまう。
では、どうすると子どもは大人を甘く見るのだろうか。
それは、親が子どものわがままを全部許している場合である。もうひとつが、母親が父親の悪口を子どもの前で言っているケースである。
親が子どものわがままを全部許している場合とは、言い換えれば、一切注意や叱るという行為がないのだ。これではいけない。褒めることが大事と言っても、注意することも叱ることも必要なのである。
よくある誤解ひとつ。口うるさく言っていても結局許している親がいる。「お母さん、これ買って」「駄目よ。ぜいたくよ」「いやだ、いやだ。買ってくれなきゃ、泣いちゃうぞ」という親子のやり取りがよく聞かれる。このやり取りが何度か繰り返された後、結局子どものわがままを聞いて、欲しがる物を買ってやる。親としては「何度も注意したのだが、しょうがない」と、十分注意したつもりになっている。しかし、何度注意しても結果としてわがままを許したのでは、それはきちんと注意したことにも、叱ったことにもならない。これでは躾にならない。「躾」とは口うるさく言わなくても「駄目なことはさせないこと」であり、「正しいことをさせること」なのだ。
そういう親に私は「お母さん、いくら口うるさく言っても、結局許すなら叱ったことにはなりませんよ。叱ると言うのは悪いことをさせないことなんですよ」と教える。
余談だが、私の知り合いに犬の躾の上手な人がいる。躾がものすごく良くて、絶対にほえたり、人をかんだりしない。あまりにも無駄ぼえしないので、「このワンちゃんはすごく静かですけど、声帯を手術でとっちゃったんですか」と聞かれるほど。一度映画館にこっそりワンちゃんを連れて行ったが、映画の間中も一切ほえなかったそうだ。
私が「どうやってワンちゃんをそんな良い子に躾たのか」を聞くと「まず何か出来た時、いっぱい褒めてあげるんです。抱いてあげたり、なでてあげたり、優しい声で褒めてあげたりするんです。出来るたびに毎回毎回。良い子でいたら、必ず褒めるんです。それから、ほえてはいけない場所で無駄ぼえをすると叱るんです。母犬はね、子犬の首をかんで叱るんです。だから、私も犬の首を軽くかんで注意するんです。そうすると、これはいけないことなんだ、というのが犬には分かるんですよ。あとはね、母犬は低い声でうなって子犬を叱るんですよ。私も低いうなり声で子犬を叱ります。子犬の頃から、こうすると良い犬になります。基本的にはいっぱい遊んであげて、いっぱいなでたり褒めてあげたり、可愛がっていれば、言うことを聞いてくれますよ」。
この子犬の躾け方と子どもの躾には共通のコツがある。褒める、叱る、褒めるのサンドウィッチ。そして、駄目なことは絶対させないの2点である。これぞ、叱り方の極意である。
叱り方の極意はもう一つある。決してしつこく叱らないことだ。たまに同じことを時間を置いて何度も何度も叱る親がいる。これではいけない。子どもが言うことを聞く気をなくしてしまう。叱るときはその場で一発でビシッと叱り、後はぶり返して叱らない。
何度も言うが「いつも褒めてくれる人の言うことは聞く」が子どもの大原則なのだ。だが、親の威厳がなくなっている場合、いくら褒めても上手くはいかない。
子どもに言うことを聞かせたいと思うなら、子どもの前で決して父親の悪口を言わないこと。そして、父親の威厳を持たせることだ。そのためには、母親は父親にきちんと敬語で話せばよい。朝の挨拶は「あなた、おはよう」ではなく「おはようございます」が正しい。父親が帰ってくれば、台所から「お帰り」ではなく、玄関まで迎えに出て「お帰りなさい。お疲れさまでした」が正しい。
昔の家庭では当たり前にしていた礼儀だ。その礼儀が最近の日本ではぐちゃぐちゃに崩れ、親の威厳が地に落ちてしまった。だから子どもは親の言うことをまるで聞かなくなってしまったのだ。母親が父親を敬う姿を見て、子どもは親の威厳を知る。もっと言えば、親自体も自分の両親、言い換えるならおじいちゃん、おばあちゃんに対して敬語をつかい、敬うべきだ。その姿を見て、子どもは年上のものに対する礼儀、大人に対する礼儀、親に対する礼儀を理解し、親や祖父祖母に対する威厳を頭に入れるのだ。
ところが、親も子どももおじいちゃん、おばあちゃんにひどい言葉づかいをしていることが多い。「おじいちゃん、こんな簡単な機械の使い方も知らないの。馬鹿だな」と、平気な顔で孫がおじいちゃんに言っているのを街中でよく見る。とんでもない話だ。
私の家では絶対にこんな失礼なことを許していない。娘、息子、孫も当然のことながら朝は「おはようございます」。私が帰ってくれば「お帰りなさい。お疲れさまでした」である。5歳の孫も完ぺきに挨拶できる。
どこか外で覚えてきた乱暴な言葉を、面白がってつかうことがある。たとえば「パンくれー」。すると、私が注意するまでもなく、娘なり息子なりが、「『パンください』でしょ。『パンくれー』はお友達同士の言葉だよ。家では丁寧な言葉をつかうのよ。きちんと言い直してごらん」と注意する。すると、孫が「パンください」と言い直せば、「うん。よくできたね。いい言葉づかいだよ」ときちんと頭をなでて褒めてあげる。こうすれば、小さい子どもでも「丁寧な言葉をつかうと褒められるのか」とうれしくなり、自然と丁寧な言葉を選ぶようになる。ミソは悪い言葉を全否定しないことだ。子ども同士で多少荒っぽい言葉もつかえないと社会性が身に付かない。荒っぽい言葉はあくまで友達同士で、大人の前で使うものではないことを理解させればよいのだ。
昔の日本の家庭では全員が目上の人に敬語を使うのが当たり前だった。その当たり前が崩れているのが諸悪の根源なのだ。ぜひとも、目上の人に敬語をつかうようにしてほしい。そうすれば、大人の威厳が復活し、家庭の問題はすべからく改善するであろう
【札幌タイムス 2003年5月1日(木) (30日発行) から、許可を得て転載】





