【第4回】
学力不振には、個別指導しかない。奇跡の大逆転
信じられないほど低い偏差値から難関大学へ合格させた経験を、私は数え切れないほど持っている。よく「奇跡だ」「大逆転だ」とマスコミで言われたので、そのままキャッチフレーズとして使わせてもらっている。
「学力不振」という言葉を知っているだろうか。「学力が通常以下で、授業についていけない生徒」のことである。
学力不振を脳の器質障害が原因とする向きもあるが、通常の学校などでは「脳の器質障害による学力不振」と「勉強の欠落による学力不振」をなかなか見分けることが難しい。実際は勉強の欠落なのに、脳の器質障害が学力不振の原因と誤って判断され、悲しい思いをしている子ども相当数いるようだ。
脳の器質障害は子どもの成長とともに、徐々に回復する場合がある。学力不振の中学生に、小学生程度の問題にさかのぼって取り組ませると、スポンジが水を吸い込むがごとく、それまで欠落していた勉強が身についていくケースがある。
学力不振は詰まるところ、勉学の基礎が相当前の学年の段階から崩れていることが多いと私は考えている。分数の計算ができない高校生も、アルファベットが書けない高校生もいる。日本の首都が分からない中学生も、地球が丸いことを知らない中学生もいる。
分数の計算ができない高校生は、小学3年ごろから崩れているということだ。そんな高校生がゴロゴロしているのだ。少子化の影響で大学に入りやすくなったが、これでは大学入学は無理だ。
ある企業の人事担当者数名の集まりに顔を出す機会があった。お酒が入っていたので、皆ざっくばらんな話をしてくれた。
「いいですか、池上先生。大学が入試のレベルを下げて、入学させているケースが多いことをご存知ですよね。企業側は偏差値の高い大学を、より優遇するようになってるんですよ。裏を返せば偏差値の低い大学には、ひどい学力の学生がゴロゴロいる危険性があるということです。昔は偏差値の低い大学にも、光る学生や能力の高い学生が結構いたんですけどね」
「それじゃあ、偏差値の低い大学だと、就職差別を受けてるということですか」と私が聞くと、別の人事担当者(この人は某メーカーだったと思う)が「分かってませんね、池上先生。私たちは学校差別なんかしませんよ。ただ、以前の採用選考は面接が中心だったんですけど、最近は学力試験を課しているんです」
「学力試験は難しいんですか」
「いいえ、易しいですよ。たいていは中学レベルの数学や国語です。うちでは同じく中学校レベルの英語のテストもやりますけどね。でもね、池上先生。大学生がその試験を受けて0点のケースも多いんですよ。学校は何をしてきたんだと感じますよ」
「入社試験で中学レベルのテストですか」
「ええ。仕事で使う事務処理能力は、ちょうどそのくらいなんですよ。でも、それすらグチャグチャに崩れてる大学生が驚くほど多いのです。で、結局高い点数取るのは偏差値の高い大学の学生なんです。自然と偏差値の低い大学の学生は淘汰されるわけです」
「どこの企業もそうなんですか」
「ほとんどがそうですよ。大学レベルの問題を入社試験で出題するなんて、ごく一部の理系研究職くらいですかね」
この話には驚いた。入社試験が中学レベルの問題だなんて。そして、その問題を解けない大学生がゴロゴロしているなんて。
「大学に入れば就職まで保証」ではないのだ。偏差値の高い大学に入れるまでの勉強をしてきた学生は、やはり就職にも有利なのだ。そして、特に中学までの勉強が仕事においても基礎となるのだ。
学校の授業は集団講義形式のため、一度乗り遅れると追いつくのが難しい。片道の鈍行列車のようなものだ。1日や2日風邪で休んでも、ちょっと頑張ればすぐに追いつく。ところが1週間休んでしまったり、1週間ふざけて授業を聞いていないと、追いつくには相当苦労する。それが1カ月だともう自力では至難の業だ。1年間の遅れを取り戻すのは不可能に近い。塾に行っても、集団講義形式の塾では学力を取り戻すことは難しい。
某大手予備校の先生から面白い話を聞いた。「池上先生のところでやっている個別指導というのは、効率的でうらやましいですよ。我々のような大手はどうしても集団講義形式しかできないんです。集団講義だとどうしてもある特定のレベル、普通はちょうど真ん中くらいに合わせるんですが、そうすると、平均レベルよりも下の学力の子が落ちこぼれちゃうんです。逆に学力が設定したレベルより上の子は分かりきったことを聞くことなるので、あきちゃうんです。まあ、無駄な時間を過ごすことになります」
「じゃあ、学力レベルをこまめに分けたらどうですか」
「難しいですね。たくさんクラス分けすると、教室と先生がたくさん必要になり、我々みたいな大手は採算割れしちゃうんです」
「なるほどね」
「池上先生、大手予備校で1年間勉強して、どのくらいの割合で大学に合格できると思いますか」
「さあて、池上学院の大学受験科で例年、志望大学合格率は90%くらいだから…。同じくらいですか」
彼は声をひそめて言った。「びっくりしますよ。実は、うちみたいな大手だと、1年後の大学合格率は30%くらいです。うちはまだいい方で、他の大手予備校では30%を下回っているところがほとんどですよ」
忘れられない生徒の1人にH君がいる。初めて会った時の心細そうな顔、自信なさそうな姿が印象的だった。出身は市内で最低レベルの高校で、成績はFランクくらい。道内の大学を全部落ちて相談に来た。
付き添って来た母親は「真面目な子なんですが…、なんとか大学に入れたいんです」
「受験勉強を1年乗り切るには、真面目さはとても大事なこと。現在の実力はどんなに低くてもいいんです。継続は力です。それには真面目さが一番の武器です」と私は答えた。
学力を調べたところ、やはりとても低かった。特に英語が全然駄目だったので、英語を中1の初めからやり直した。高校生になんとABCから始めたのだ。個別指導の基礎特訓が毎日行われた。彼は毎日誰よりも早く出席した。雨の日も雪の日も1日も休まず、遅れることなくコツコツと個別指導特訓を受けていた。3カ月くらいで中学の基礎が終わり、高校の基礎に入った。秋ころには高校の基礎も終了し、受験問題に取り組みはじめた。実に驚くべきペースだが、個別指導ならではの驚異的なスピード学習だ。受験期の春には、道内の私立はなんとか合格できる実力になっていた。
受験までわずかの日数に迫ったある日、お母さんが私に相談に来た。「池上先生、おかげさまでここまで来れました。実は今朝びっくりしたんですが、息子が東京の大学を受けさせてくれと言うんです。それも有名大学ですから受けても合格するわけも無いし、無駄だって私は言ったんですが、どうしても受けてみたいと息子は言うんです。どうしたらいいんでしょうか」
「へえー、驚きましたね。彼がそんなことを…。1年間頑張って来たんですから、東京への観光旅行をプレゼントするとでも考えて受験させてみてはどうですか。記念受験と言う意味でもいいですし…」
私もH君のお母さんと同じ気持ちだった。普通なら受けようとする大学の合格は無理だった。
2月の下旬、事務員が「池上先生、H君から電話です。東京からなんですって…」
「えっ、東京から…」「もしもし…」
「池上先生ですか! あの、俺、あっ…う…あ…あ…」
「H君、どうしたの?」
「あっ…あうあう…あ…」
「どうしたの?」
彼は東京に発表を見に行ったのだった。お母さんからプレゼントの観光旅行だ。彼自身も当然合格などは考えていなかったが、せっかくの東京だ。発表を見に行ったところ、なんと合格していたのだ。彼は喜びと驚きを伝えたくて私に電話をしてきた。しかし、私が電話に出た途端、あまりの喜びで急に大きな声を出した途端、あごが外れてしまった。
「あっ…あうあう…あ…」はそれだったのだ。
それから毎年、夏休み冬休みの帰省の折、自宅に帰る前に必ず私のところに先に顔を出したものだ。羽田で買った「東京バナナ」をお土産に欠かさず持って。
落ちこぼれの生徒の親からよくある質問が「池上先生、うちの子は全教科まるでできません。何から始めたらいいんでしょう」
「まずは漢字から始めるといいです。それも小学1年生の漢字から」
「えっ、いくらなんでも小学1年の漢字くらい、全部できますよ。『山』とか『川』とかですよね」
「お母さん。学力不振の子どもは基本的な漢字の読み書きができていないことが多いんです。書くには書くけど、実はあやふやの記憶で、思い出しながらゆっくりゆっくり書いたり、ゆっくりにしか読めないことが多いんです。だから、教科書を読むのが遅いし、理解力が低いんです。どの教科書もみんな漢字で書いてあります。まずは漢字がすべての勉強の基本なんです」
学力不振の正体は漢字能力の不足であるケースが多い。小学校レベルの漢字全てを理解すると、途端に勉強のスピードが早まる。それもそのはずだ。今までは一生懸命教科書に向かっていても分からない漢字がたくさんあったのだ。まるで暗号を解読するようなものだったのだ。
【札幌タイムス 2003年5月15日(木) (14日発行) から、許可を得て転載】





