【第6回】
平成のおばけ。きれいな素肌に、厚化粧するなんて…
セーラー服姿の女子高生が厚化粧しているのを見るのは、一番気持ち悪いことだ。
十代の素肌のみずみずしい、張りのある美しさは、一生の間で何年もない。年齢を増すにつれて肌も曲がり角になり、素肌ではいられなくなる。肌の張りも段々となくなり、汚くなるにつれて、それを隠すためにファンデーションも塗らねばならなくなる。唇の色もピンクの桜色がいつの間にかあせてくるから、紅も差さねばならない。年齢が増すに従い汚くなってくるから、ますます化粧が濃くなるのは当然だ。どんどん年をとって汚くなるから、一生化粧をしなくてはならないのだ。
それでも収拾がつかなくなり、なんとか他人の視線をそらさねばならない。そのために、イヤリングもしなくてはならない。手だって若者の肌が美しいに決まっている。しかし、年をとると手にしみやしわが出てくる。やはり他人の視線をそらすために、指輪もしなくてはならない。そして、年をとるにつれてどんどん指輪も大きくしなくてはならない。
これがファッションの原点だ。
若者は装飾品などせず、何もつけない、化粧もしない「すっぴん」の状態が一番美しい。その美しさをおう歌できるのは若い時のほんの少しの期間だけだ。十代の素肌の美しさ、清潔さは二度とない。その貴重な美しさ、一時の美しさを何ゆえ化粧で塗りつぶさなくてはならないのか。その醜悪さを親はもちろんのこと、すべての大人たちがきちんと教えなくてはならない。
ところがである。このごろは高校生だけではない。なんと中学生も、いやいや、もっと驚くことに小学生までもが大人顔負けの化粧をしだしている。お祭りのお稚児さんでもあるまいし…。
繊細な子どもの肌に化粧を塗ったくることは、肌に悪影響を与える。しかもタチの悪いのは、そうした化粧小学生の場合、母親が子どもの化粧に熱心なのだ。その馬鹿さかげんに腹が立ってくる。子ども対象の雑誌が化粧特集を組んだり、玩具メーカーが子ども対象の化粧品を売り出して、あおっている。企業の良心などあったものではない。
学校が正しい知識を教えるべきだと言う人もいるが、それ以前に家庭である。しかし、親がきちんと親として育っていないのだから、どうすればいいのだろうか。
ある日テレビに子ども用化粧品を買い込んでいる母娘の姿が映った。そして次のシーンで、茶髪、化粧べた塗り、アクセサリーじゃらじゃらの小学生の女の子が映し出された。子どものおばけだ。厚塗り高校生よりもひどい。平成のおばけだ。私はあきれて開いた口がふさがらなかった。
ある新聞に「綺麗になりたいと思う気持ちは小さい頃から大事だし、子どもの美意識が年々高くなっているのは確か。小さい頃から化粧に興味を持つのは当たり前」という女性の意見があった。時代の流れを受け止めている先進的な意見として、その新聞は載せているようだった。
とんでもないことだ。子どもがきれいということに興味があるならば、「子どもが化粧をすることは汚いことだ」と教えるべきだ。「この世で最もきれいなものは子どもの素肌だ」と、正しいことを大人は教えるべきだ。世の大人たちの頭がおかしくなってきている。そこが問題だ。
先日豊平区役所に行った。トイレから二人の女子生徒がセーラー服姿に化粧をばっちりして出てきた。私はあえて大きな声で驚いてみせた。「わっ、気持ち悪い」。
彼女たちは「変なおじさん」と思ったかもしれない。けれど、あとで鏡を見て「気持ち悪いのかな」と、思ってくれればというはなかない気持ちで、私は声を出したのだ。
若い親たちはすでに毒されている。肝心の父親、母親自体に茶髪やピアスが多いのだから。そして、母親は子どもにも茶髪だ、ピアスだ、化粧だ、とうつつを抜かしているのだ。
そうなると、おじいちゃん、おばあちゃんが孫の教育に乗り出さなくてはならないと私は考える。戦後の日本人は、日本の本来の美しさや文化をかなり失ってしまった。戦前を知っているおじいちゃん、おばあちゃんが孫に正しい日本人の美しさを教えてやらねばならない。
浮わついたマスコミに毒されてしまった父親、母親が「今は子どもだって茶髪にピアス、化粧くらいは当たり前なのよ。おじいちゃんは余計なことを言わないで。時代遅れね」と言ってきても、「馬鹿者、子どもはそのままが一番美しいに決まっているだろうが」と一喝してほしい。
小学生や中学生のアイドルが厚化粧して、茶髪、金髪で飛び回り、騒いでいる。しかも、めちゃめちゃな言葉づかいで。それを見た子どもたちは影響されて、アイドルにあこがれ、同じ格好をしたくなる。同じようなめちゃめちゃな言葉づかいをしたがる。それがかっこいいものだと、テレビを見ているうちに洗脳されるのだ。
先日孫がどんなテレビを見ているのかと、一緒に並んで見た。孫は5歳の男の子だから、多少やんちゃな番組があるとは予想していたが、予想以上にひどい番組だった。うんざりするほどひどい格好とひどい言葉使いで埋め尽くされていた。どの番組も戦闘ばかり、戦争ばかり。戦い、戦い、また戦い。ひどい言葉でのののしり合いばかり。こんな番組を見ていたら、好戦的な子どもになると、ぞっとした。しかも、テレビで覚えたひどい言葉を面白がってすぐにつかう。「ぶっ殺すぞ」「くたばれー」。
「そんな言葉はつかっちゃ駄目です」と私が言うと、「はーい」といってすぐに止めるが、孫の頭の中には徐々に刷り込まれていくのではないだろうか。世のおじいちゃん、おばあちゃんは、孫の見ているテレビに注意してほしい。ひどい番組を毎日見ていれば、洗脳されないほうがおかしい。子どもには質の良い番組を見せるべきだ。
しかし、番組表を見ても、安心して子どもに見せられる番組のなんと少ないこと。それに比べて昔のテレビ番組は良かった。私の息子や娘が好んで見ていたのは「まんが日本昔話」「一休さん」「トムとジェリー」「母をたずねて三千里」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「仮面ライダー」「サンダーバード」「アルプスの少女ハイジ」「ひょっこりひょうたん島」「巨人の星」「ドラえもん」などだった。再放送のものもあっただろうが、私も長男と一緒に見ていた記憶がある。昔のテレビは質の良いものが多かった。安心して子どもに見せていられた。
ところが、今のテレビはどぎつくて、とても安心して子どもに見せられない。例えば、あるヒーロー物の番組を孫が見ていた。昔もあったヒーロー物のリバイバルだった。昔と同じく質の良いものを期待していたが、実際見てみると正義の味方である主役自体がひどい言葉づかいで、ひどく悪い態度である。まじめな好青年は今ははやらないというのだろうか。ハンサムなのだろうが、茶髪でピアスのワルっぽい若者を主役に起用している。これでは悪い言葉づかいがカッコいい、茶髪でピアスがカッコいいと子どもは洗脳されてしまう。
テレビ局は子どもに安心して見せられる番組を作ってほしい。そして、テレビ局の方々はぜひとも見識を深めてほしい。日本人には日本本来の美しさがある。黒髪がもっとも日本人には似合い、美しい素肌が日本人の長所であり、余計な装飾品をつけないことが日本人の「粋(いき)」であることを。
外国人は古来から日本人の美しい黒髪に憧れ、きめ細かい陶器のような肌の美しさを賞賛している。それをなぜ日本人自らが、どぶに捨てるのか。日本には外国語にはない多彩な敬語があり、敬語こそが日本語の真骨頂なのだ。英語にしてみても、敬語のバリエーションが日本語に比べるとなんと貧弱なことか。目上を敬うということが、いかに日本文化として深く根付いているかを証明するのが敬語である。敬語こそ日本が持つ文化の深みなのだ。それをなぜ、言葉を伝承する責務を担うマスコミが、敬語を破壊するような真似をするのか。
最近になって「セレブ(上流層)」と言われる女性たちが、日本の美しさに目覚め始めているのは良い傾向だ。例えば和服に目覚めていること。ブランド物の洋服やバッグは、身につけていて当たり前の時代。そんなものでは差がつかない。そこで上流の女性たちは、着物を着こなすことで差をつけようというのだ。洋服と違い、着物を着こなすのにはそれなりに修練が必要となる。着物を着るということは、日本という文化を身につけること。格の違い、格の高さを他人に見せるには絶好のツール(道具)なのだろう。
多少、不純な思いからの着物かもしれないが、着ているうちにやがて着物の魅力を理解し、本格的に着物を好きになる。そして、着物から日本文化の良いところを学んでいくという流れになるようだ。着物には茶髪は合わないし、ピアスも合わない。艶やかな黒髪が着物には一番似合う。何の装飾品もいらない。鮮やかな着物が肌のきめと黒髪の麗しさを引き立たせてくれる。
子どもは何もつけない、生まれたままのすっぴんが一番きれいだ。ぜひともそのことを、子どもや若いお父さん、お母さんに伝えたい。おじいちゃん、おばあちゃんは声を大にして伝えてほしい
【札幌タイムス 2003年5月29日(木) (28日発行) から、許可を得て転載】





