【第7回】
一流の敬語。服装と言葉づかい、礼儀が大切
ある上場企業の人事部長さんと日曜の午後、私の家でお茶をしながらいろいろな話をしていた。やがて、仕事の話になり、採用の話になった。
「部長さんは長年採用をされてらっしゃるんだから、いい人物はすぐに見抜けるんでしょうね」
部長さんはしばらく私を見てから、「池上先生、テストで難しい選択問題があった時、どうしなさいと生徒に指導されていますか」と聞いてきた。
「まずは明らかに違う選択肢を消していくよう指導します。いわゆる消去法を指導しますよ」
「われわれ人事も、採用では消去法を使うんです。あきらかに社会人として不適切な者を落としていく。真っ先に見るのは服装です。ネクタイがゆるんでないか。ボタンが外れていないか。靴はきちんと磨いているか。趣味の悪い派手な格好をしていないか。そして、同時に髪型が変じゃないか、化粧が派手じゃないかを見ます。ひどい学生は、茶髪にピアスで採用面接を受けに来るんですよ。見た瞬間で即落としますね。履歴書の写真が茶髪にピアスというのもあります。そうゆう学生は『話にならない』と、履歴書を送り返します」
「ほー、就職活動に茶髪にピアスですか。あきれてしまいますね」
「実はもっと細かいところまで見ています。ピアスをしていなくても、耳に穴があるかも見てるんです。今日だけピアスを外してきたのかもしれません。そういう学生は、働き出すとピアスをするかもしれません。それでは仕事は務まりません。髪の色もよーく見ています。茶髪を黒く染め直してきても、太陽の光に当てると茶髪の名残りが必ず分かります。ですから、われわれは太陽の光が入る部屋を面接で使うんです。カーテンを全開にして太陽の光を入れると、いくら染め直してきても一目瞭然です。『茶髪を急いで染め直したな。浮わついた学生だ。仕事は任せられん』とね」
「自然光が入る部屋ですか。さすがプロですね。そこまで、細かく見ているとは…」
「学生が浮わついているかどうか、われわれが見れば一目瞭然です。ですから、池上先生、学生にはきちんとした格好をするように指導しないと、本人が後々辛い思いをします。茶髪やピアスを一度すると、何カ月も何年もその跡が残るんです。それじゃあ、何十社就職活動しても落ちまくるだけなんです。多少勉強が出来ても、格好や服装が不適切な学生は絶対に落としますよ」
「私のやっている通信制サポート校では、服装や髪の色に関して、厳しく言ってます」
「あとね、われわれが見ているのは、あいさつと敬語です。今の子はあいさつも敬語もめちゃめちゃですからね。普段、敬語に慣れていないから、いざ面接で敬語をつかおうとすると、外国人みたいな変な話し方になります。例えば、『あなたの長所は何でしょうか』って学生に聞いたら、『えーっと、私のいいところは明るくて面白いところかな』という具合ですよ。『敬語もろくにつかえないで、本当に君は日本人ですか』と聞きたくなります。あいさつも、こちらが『おはようございます。よろしくお願いします』と言っているのに、学生が『おはよう。よろしく』と小さい声で返すんです。分かってないんです。多分、親の敬語や礼儀も崩れているのが多いのでしょうね」
「困ったものですね。私は生徒には『敬語をつかうんだよ』と指導しています。やはり、昔の子どもの方が敬語はきちんとしていました。親が日常きちんと敬語をつかっているか、どうかなんでしょうね」
「そうそう、先日感心したことがあるんです。近頃の学生には珍しく、完ぺきな敬語をつかえる男の子がいたんです。それで『君の敬語はなかなかしっかりしているね』と誉めると『はい、私の家では祖父が厳格で、言葉づかいに厳しく、幼い頃から鍛えられたのです。祖父は幼児言葉が大嫌いでして、母を通じて赤ん坊の私にも大人と同様の言葉をつかわせていたのです。たまに悪い言葉をつかうと、祖父に怒鳴られ、すみませんと言い直さないと思い切りげんこつをくらわされました。私が言いつけられたことを守れないと、晩ご飯抜きで庭に立たされました。1時間15分、食事抜きで庭に立たされたのが一番辛かった経験です』と言うんです。やはり、しっかりしたおじいさん、おばあさんがいる家庭はいいですね」
「いい話ですね。しかし、1時間15分とは、ずいぶん細かい時間まで覚えてるんですね」
「ええ、それを私も聞いたんですよ。すると、『大好きなテレビを見ようとした時に怒られたのです。それが5時30分から始まるテレビだったのです。テレビを見ようと帰ってきたとき、靴を揃えなかったんです。そのことを母に注意されたのですが、私が口答えしたのです。それを見ていた祖父が怒り、私を庭に立たせたのです。小学校の低学年は7時には必ず寝ろという祖父の考えで、6時45分に許しが出ました。そこから大急ぎで歯を磨いて、トイレに行って、着替えをして、次の日の学校の準備をして7時ぴったりに寝たんです。それで1時間15分です。あまりにお腹がすいて、夜の庭が暗くて怖くて、その日の事は一生忘れられません』という答えでした。なかなか素晴らしいしつけだと思いました」
「で、その後があるんです。『次の日祖父が咳をしてたんです。朝から卵酒を母に作ってもらって飲んでました。不思議に思って母に聞くと、孫を庭に立たせているんだから、自分も同じ状態でいると言って、窓を開けて同じく1時間15分いたそうです』ということでした」
「確かにいい話ですね。そういえば、ちょっと似たようなことを私の家でもやってますよ。孫に対して私も妻も朝のあいさつは手抜きの『おはよう』ではなく、『おはようございます』ですよ。孫は3歳くらいからきちんと『おはようございます』とあいさつできるようになりました。『おはようございます』と『いただきます』が言えてから、朝ご飯を食べ始めていいことにしてます」
「さすが、池上先生だ。そうそう、あとですね、面接ではお辞儀も見てるんです。きちんとお辞儀ができない学生が多い。頭をほんのちょっと下に動かすだけ、それがお辞儀だと思ってるんです。学校は何を教えてるんでしょうね。小学校の頃から高校まで『起立・礼・着席』ってやってるんじゃないですか。学校では腰から曲げて、頭を深く下げることがお辞儀だと教えてないんですかね」
「確かに。私の塾でも中学生や高校生に推薦入試の面接指導の時は、お辞儀の仕方を教えることがあるんですけど、きちんとできない子が多くて、ひと苦労です。その代わり、できるようになると、推薦入試の面接は必ず通るようになりますね」
「学生は普段、ひどい言葉づかいでも『いざとなれば敬語くらい使えるさ。面接での礼儀作法も気をつかえばできるはず』と思ってるんでしょうけど、いくら気をつかっても、普段の言葉づかいがポロポロ出てしまいます。結構多いのは、『部活やってましたから、敬語や礼儀作法はバッチリとしてるほうす』という学生です。しょせん学生同士の先輩後輩のやりとりだから、敬語も変なんですよね。そもそも、『バッチリとしてるほうす』なんて敬語はないですよね。勉強ができていようと、偏差値の高い大学であろうと、敬語や礼儀がなってない学生は絶対に採用しません。一流の敬語がつかえるということは、一流のビジネスマンになる第一条件ですよ」
ぜひとも、お子さんやお孫さんに一流の敬語を教えてほしい。一流の敬語はあとあと大きな財産になるのだ。もしも、自分の敬語や礼儀に自信がない若いお父さんやお母さんは、おじいちゃん、おばあちゃんに教えを請うべきだろう。敬語だけならば、昔ながらの質の良い絵本、質の良い物語や小説を声に出して子どもに読んで聞かせるべきだろう。
先の人事部長さんの話には続きがある。
「新聞やテレビでは『就職難だ、就職氷河期だ。今の学生はかわいそうだ』と言います。でもね、学生のレベルが本当に下がっているんです。正確には学生だけじゃなく、日本人全体のレベルが下がっているような気がします。年のいった者でも礼儀作法わきまえてないし、常識も身についてないのが多いんです。正直、なかなかいい人材に出会えませんよ。学力的にも年々下がってるような気がします。なぜなんでしょうかね」
「部長さん、それは当たっていますよ。だって、少子化で大学に入りやすくなっているのです。『良い大学でなくてもいいや』と思えば、全然勉強できなくても大学に入れちゃうんです。だって、分数の計算ができない大学生がいるんです」
「えー、嘘ですよね。分数の計算もできなくて大学に入れるのですか。テストをしないんですか」
「学生数を確保したいから、テストが全然できなくても合格にする大学が多いのです。おまけにね、テストをしない大学もあるのですよ。AO(アドミッションズ・オフィス)入試といって、際立った特技や発想力を持っているかを見る面接だけで、合格させる方式です。英語だ、国語だ、数学だ、理科だ、社会だ、というテストはしないのがAO入試なのです。なかには、AO入試と銘打っても、際立った特技や発想力を持っているかをきちんと見ずに、合格させてしまう大学もあるらしいのです」
「驚いた。そんなんでいいんですか」
「一応、面接でペーパーテストとは異なった総合的能力を測るのがAO入試である、という前提なのです。きちんと機能すれば、AO入試はいい仕組みかもしれませんが。実際はあまり良い使い方をしていないケースがあり、残念です」
勉強を怠けても大学には入れるのなら、人間は成長しない。悪い言葉をつかっても直されないのなら、人間は成長しない。
厳しい環境に身を置くことだ。そうやって、人間は成長していく。孫を庭に1時間15分立たせたおじいちゃんのような厳しさを持ちたいものだ。その厳しさこそが、子どもに一流の敬語、一流の礼儀作法を身につけさせるのに必要なのだ
【札幌タイムス 2003年6月5日(木) (4日発行) から、許可を得て転載】





