【第11回】
今どき、とてもいい人、いい話を二つ。納豆とバラ
このところ、政治家も企業家も倫理観などどこに飛んで行ってしまったのか。己の利益のためならどんな手段をも使う、という殺伐としたニュースがマスコミを賑わす。しかし、ほのぼのとする素晴らしい人々が、巷(ちまた)にはいるのだ。
ある学校を見学するため、日立市に行った。家内も一緒だった。校舎を見たり、校長と色々と話をしたりして、3時間くらいでいとまをした。
途中、水戸駅のキヲスクでお土産用のドライ納豆を見つけた。家内が声を上げた。「あなた、ドライ納豆があるわよ。あらあら、値段が安い!これ、みんな買いましょうよ」。
どうしてドライ納豆を買い占めたのか。これには訳がある。
北海道では乾燥納豆を目にすることはあまりないのではないだろうか。私が口にしたのは、海外旅行の時に飛行機の中でおつまみとして出されたそれであった。おつまみとして食べてみると、なかなかいける。持ち運ぶのにもいいし、長持ちするし、と感動した。
その後、テレビを見ていたとき、ドライ納豆が普通の納豆より栄養価もずっと優れていることを知り、すぐに近くのスーパーに買いに走ると売っていない。デパートに問い合わせてみても置いていないという。
私は納豆が大好きで、ほとんど毎日欠かさないので、ドライ納豆の話を聞いて益々欲しくなった。しかし、札幌ではどこを探しても売っていない。北海道の人は乾燥納豆を食べることがないのだろう。どこで手に入れることが出来るかと途方に暮れていたら、家内が言った。「あなた、飛行機の中でおつまみとして出していたのだから、航空会社に電話をしたら、きっと売ってくれるかも知れないわよ」。
そうか。あそこには必ずあると考え、電話をしてみた。なんと、売ってくれると言うのだ。しかし、値段がとても高い。届いたドライ納豆を少しずつ食べることにした。パリパリとした歯ざわりが良くて、ついつい多く食べてしまう。「これがもっと安ければ…。どこかに大袋に入って安いのはないかな。気兼ねなく食べられるのに」などと話し合っていた。航空会社の物は小さな袋に入って、それも少量しか入っていないのだ。
そんな思いをしていた時の、水戸駅でのドライ納豆との出合いである。私も家内も跳び上がって喜んだ。大袋にびっしり入ってすごく安い。水戸は納豆で有名だったんだと思い出す。キヲスクの売り子に、あるだけ全部くださいとお願いした。
千歳に向かう飛行機の中でも、早くあの袋を開けて思いっきり食べてみたいと、心が弾んだ。家に着いてさっそくドライ納豆を家内と2人で口に放り込んだ。「ん?何これ!ガチガチに固くて、とてもかめない」。家内も「あなた駄目これ。古くなってるんじゃない。不良品よ!」と、口から出した。とても食べられる代物ではないのだ。小石をかんでいるようである。
せっかく楽しみにしていたのに、がっかりである。こんな不良品を売っているなんて許せないと思い、袋を見ると製造元の住所と電話番号が印刷されていた。すぐに電話をした。こちらが話をすると、不良品ではなく、水戸では昔からの製法で、自然に乾燥させてガチガチになった納豆を食べるというのだった。そして会社の人は「それを知らないお客様に説明をしないで売ったというのは私どもの手落ちですので、すぐ代金をお返し致します。申し訳ございませんでした。品物は返品しなくて結構です。お手数ですが、捨てるなりしてください」と、大変丁寧な応対であった。すぐに現金封筒で代金とともに、きちんとしたお詫びの手紙が入っていた。私も家内も驚いてしまった。今どき、なんときちんとした対応の仕方だろう。
もう一度、固い乾燥納豆を口に入れてみた。口に入れてしばらく転がしているうちに、段々と柔らかくなって食べやすくなるのだ。私もすぐに礼状を出した。
私は、教育関係の理事会に出席するため、上京していた。全ての日程が終了し、札幌に戻るべく山手線に乗っていた。新宿駅から乗り、浜松町まで行くところだった。私が座ったとなりに、60代後半の上品な婦人が2人座った。2人で話が始まった。私の耳に自然に会話が入ってくる。話から察すると、多分同窓会か、クラス会の帰りだったのか。色々な友人の名前が出てきて、近況などを話し合っていた。
「Aさんは全然変わらないわね。なにか以前より若くなったみたい」
「あの方はね、しっかりしているから、また新しい事業を始めたんですってよ」
「あらそう。やはり刺激があるから若いのね。この年で現役バリバリで仕事やってるんだから、尊敬しちゃうわね」
「私なんかずっと主婦だったから、なんの刺激もなくこのまましぼんでしまうのかしら。それに、だいぶボケて来ているのよ」
「なに言ってるの。あなたはご主人をあれだけ支えてきたし、お子様たち5人を立派に成人させたじゃない。お孫さんにも囲まれてうらやましいわ。私なんか、子ども3人ともまだ結婚しないでしょう。なんか、全然する気がないみたい。どうなってるのかしら。長女なんかもうすぐ40歳になっちゃうのよ。私は孫には縁がないのかもしれない。ほとんど、あきらめの心境よ。主人とはいつもその話なの。主人はお前の育て方が悪いから子どもたちがこうなったって言うから、私はあなただって半分責任があるんだからね、って言ってやるのよ」
こんなどこにでもあるような会話が続いていた。
ところが、話の流れが変わってきた。
「そうそう、Bさんね、今年も見えなかったわね。お元気かしら」
「お元気になったのよ」
「あのときは驚いたわ。Bさんの御主人!あんな元気な方だったのに、昨年の何月だったかしら。急に亡くなられて…」
「おいくつだったかしら?」
「72歳だったのよ。脳こうそくだったの」
「Bさんご夫妻はとても仲の良いカップルだったから。Bさん、ご主人亡くしてどんなに寂しいことか…」
「そうなのよ、あなた知ってる?Bさんのご主人、結婚以来ずっとBさんの誕生日に真っ赤なバラを毎年欠かさずプレゼントなさっていたのよ」
「あら、私聞いてなかったわ。素晴らしいわね」
「それでね、昨年の彼女の誕生日には、ご主人が他界されてるから、バラは届かなかったのよ。当然よね。Bさん、その日からひどく落ち込んで、何もする気がなくなって、横になっている日が多くなっていったんですって。この1年間ほとんど外出もしないし、家に引きこもってしまってね。それがね、今年の彼女の誕生日に、バラの花束が届いたんですって。カードになんて書いてあったと思う」
「なんて書かれていたのかしら」
「天国のパパより、って書かれていたんですって。彼女すっかり舞い上がってしまって、今元気を取り戻しているんですってよ」
「良かったわね。でもどうして、誰からきたのかしら、そのバラは」
「実はね、二男さんのお嫁さんが、あまりに彼女の落ち込んでいる姿が可哀相で、バラを送ったそうよ。彼女は全然知らないそうよ。これからも天国のパパからのバラを贈り続けるそうよ」
「いい話ね。お嫁さん、なかなかやるわね」
「そうなのよ。あら、次よ。降りましょう」
2人の婦人は次の駅で降りて行った。私はとてもいい話を耳にして、なにかとても幸せな気持ちになった。
【札幌タイムス 2003年7月3日(木) (2日発行) から、許可を得て転載】





