社会に貢献する素晴らしい人間作りに協力します。|池上公介の教育論|2003年度札幌タイムス掲載(全記事掲載中)

【第23回】
修羅場にいかに対応できるか、葉隠の教え。覚悟のすすめ

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「武士といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な言葉を知らない人はいないだろう。侍の生き方を書いた有名な「葉隠(はがくれ)」という本に載っている一節だ。

戦時中は特に兵隊たちに愛読された本である。兵隊たちに愛読された本だからといって、決して戦争を肯定している本ではない。葉隠には、人生について深い洞察がある。

若い人は「武士といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一節は知っていても、実際に葉隠を全文読んだことのある人は、少ないのではないだろうか。実は「武士といふは、死ぬ事と見付けたり」は、死ぬことをすすめている文章では断じてない。実際、その後半にはこう記されている。若い人たちのために現代の言葉にしておいた。

「武士道を極めるためには、朝夕繰り返し死を覚悟することが必要なのである。常に死を覚悟しているときには、武士道が自分のものとなり、一生誤りなくご奉公し尽くすことが出来ようというものだ」

要するに、最悪の状況も覚悟しろと、葉隠は述べているのだ。いざ最悪の事態になった時にあわてふためくのは、人として見っともないというのだ。最悪の状況も覚悟して、はじめて見事に生きることができると教えているのだ。

昔の人には「覚悟」のある人が多かった。私の祖父もその代表のような人だった。

私が4歳か5歳くらいの頃、第2次世界大戦の最中のことである。アメリカ軍のB29戦闘爆撃機が北海道に爆弾を落としにやってきたのだ。「ウーッ、ウーッ、ウーッ!」。ものすごい音のサイレンが鳴る。「空襲だ—。B29が爆弾を落としに来たぞ!」「空襲警報—!」「防空壕(ごう)へ逃げろ!」。外で大勢の人が大声で騒いでいる。

「公ちゃん、防空ずきんをかぶって、こっち、こっち」と、私は家族の者に連れられて防空壕へと大急ぎで走った。近所の人たちと皆で、大きな防空壕を前から作ってあった。防空壕といっても若い人は分からないかもしれない。地面に深い穴を掘って、頑丈な洞窟を作り、爆弾が落ちてきても大丈夫なように作った隠れ場所なのだ。とても大きな防空壕なので、私の家族だけでなく近所の人も大勢防空壕にいた。皆空から降ってくる爆弾の恐ろしさは十分知っているので、大急ぎで防空壕に避難してきた。

防空壕の中はろうそくの光で皆の顔くらいは見える。一様に不安な顔をしている。中にはブルブルと小刻みに震えている人もいる。私は皆の顔を見回して、「ああ良かった。みんないる。みんな無事だ」と安どしたら、なんと、祖父の姿が無い。

「あれ、おじいちゃんがいないよ!おじいちゃんが防空壕にいないよ!どうしたんだろう」と私は驚いた。まわりの皆も顔を見合わせるだけだ。

B29が飛び去り、空襲が終わってようやく防空壕から外に出ると、いつの間にか祖父が私の近くにいた。それからも空襲が何度かあったが、そのたびに防空壕に祖父の姿は見えなかった。

「なんでおじいちゃんは空襲のとき、防空壕にいないんだろう。どこにいってるんだろう」と私はいつも不思議に思っていた。ある空襲のとき、いつものようにけたたましい空襲警報が鳴った。私は母に連れられて、防空壕に走ろうとした。その時、少し後ろの方に人の気配がした。一瞬私は振り返った。すると、家のほうに祖父が見えた。祖父が仏間で仏壇に灯明をつけて座っている。目を仏壇の方に向け、背筋をスッとまっすぐ伸ばし、どっしりと座っている祖父の姿は、とても威厳のあるものだった。戦場で命をかけて戦っている若い男たちの代わりに、家と女子どもを守るため、祖父は命がけの覚悟をしていたのだ。空襲で家にもしものことがあったら、祖父は「家もろとも」と思っていたのだろう。

むろん、防空壕の外にいるのだから、爆弾が直撃すれば祖父はひとたまりも無いのだ。もしも近くで爆弾が雨あられのように降り、爆弾が破裂したとしても、熱風を頬で感じながらも、祖父はきっと仏間の真ん前でどっしりと威厳を持って座わり続けていたことだろう。

これが昔の戸主の姿である。勇気ある行動を取り立てて自慢しようともしなければ、そのことを誰にも少しも話そうとしなかった。空襲が終われば、何事も無かったかのようにいつもの落ち着いた顔で普段の仕事を始めていたのだ。

死をも覚悟する祖父の姿は、まさに明治の気骨ある男の姿だった。武士のような威厳のある姿だった。

我々の日常も平穏なように見えて、実は一歩先にはあらゆる危険、あらゆる最悪の事態が待ち受けている。働いている人ならば、例えば、いきなり会社が倒産するかもしれない。いきなり解雇を言い渡されるかもしれない。

そんな修羅場を迎えたとき、あなたはどう振る舞うだろうか。あなたは潔い対応ができるだろうか。実際のところ、修羅場を前にして潔い対応ができる人はそう多くは無いはずだ。

昔の侍は毎朝布団の上で自分の修羅場を想像し、あらゆる事態に対する覚悟を決めていたそうだ。「鉄砲に撃たれたら、こうして対応しよう」「刀を持った大勢の敵に囲まれたら、こう対応しよう」。そうすると、いざそのときには、自然と潔い最善の対応がとれるようになるのだ。

突然会社から解雇を言い渡されたら、という修羅場を挙げたが、たいていの人はうろたえ、泣き言をいい、悲嘆にくれることだろう。しかし、私の知り合いで実に面白い対応をした人がいる。その人の年齢は中年と熟年の間くらいであった。

ある日上司に呼び出され、デスクの前に立っていると「残念ながら、君は今月いっぱいで解雇だ。会社の経営状態が悪いので、納得してくれたまえ」と、上司が淡々と告げた。すると、解雇を言い渡された本人は何も言わずに黙って聞いていたが、上司の言葉が終わるやいなやニッコリと笑った。そして、その笑顔に驚く上司を前に涼しい声でこう言った。

「これから新しい人生があるんですね!」

もうひとつ似た話がある。ある会社に非常に優秀な若者がいた。自分が手掛けていた大きなプロジェクトが順調に進んでいた矢先、上司のミスで修復不可能なトラブルが発生した。上司が取引先との契約書をきちんと把握していないために発生したものだった。上司は「私のミスだ。すまん。君が頑張って進めたプロジェクトを潰してしまった」と告げた。しかし、その時、若者は泣き言も言わず、上司に向かってニコニコしながらこう言った。「面白くなってきましたね。ますます、面白くなってきましたね」。そして、続けた。「ここから逆転できれば、最高に面白いじゃないですか。さあ、対策を検討しましょう」と。

こんな潔い対応ができれば、しめたものである。

ごく普通の家庭にも修羅場はいくらでもある。例えば、ある日自分の子どもが中学生なのにたばこを吸っていたとする。その時、あなたはどんな対応をするだろうか。

「未成年なのにたばこなんて吸ったら駄目だろ。やめなさい!」と、毅然と叱ることができるだろうか。それとも「どうしてたばこなんて吸うの」と、優しく問うだろうか。はたまた、自分で判断するだろうと、何も言わずに見ないフリを決め込むだろうか。いっそ「お父さんも中学校からたばこを始めたんだよ」と、一緒に並んでたばこに火をつけるだろうか。または、全然違う対応をとるだろうか。どのやり方をとるかによって、後々の結果は大きく異なることになる。

例えば、ある日自分の子どもが「学校に行きたくない。学校に行くくらいなら、死んでやる」と、叫んで不登校になってしまったら、あなたはどんな対応をするだろうか。

「学校は絶対に行かなければ行けないんだ。わがまま言わずさっさと学校に行きなさい!」と、突っぱねるだろうか。それとも「どうして学校に行きたくないの。わけを話してごらん」と問うだろうか。または「お父さんも学校に行きたくない時があったんだよ。会社に行きたくない時もあるくらいさ」と言って、一緒に学校も会社も休んでしまうか。「好きにしなさい」と、ほったらかしておくか。

例えば、自分よりも体が大きく、力も強くなった子どもに何かを注意したら、子どもが「うるせー。ぶっ殺すぞ!」と逆ギレして、あなたの胸倉をつかんで来たら、どうするだろうか。そして、もしもその子が本当にあなた目掛けて思いっきり殴りかかってきたとしたら、どうするだろうか。

この荒れたご時世で、この程度のことはありえないことではないのだ。学校の1クラスに1人は不登校の生徒がいる時代なのだ。家庭内暴力が当たり前で、子どもが刃物やバットで両親に襲いかかる時代なのだ。修羅場は誰にでも襲い掛かってくるのだ。

命をかけても大切な何かを守る覚悟を、誰もが持つべきだ。その覚悟ができて、初めて見事に生きることができるのだ。子どもや孫のいる皆さんは、ぜひとも先にあげた修羅場にもし遭遇したら、どう対応するか考えてみてほしい。それぞれの修羅場にあえて私は答えを書かない。

子どもさんがこの文章を読んでいれば、逆にこんな場合はどう対応するか考えてみてほしい。もしも、あなたのお父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、皆交通事故か何かで1度に死んでしまって、頼れる家族が誰もいなくなったら、どうするか。

そんなことあるわけないじゃない、と思うかもしれないが、いつかはそうなるのだ。お父さんもお母さんも今は元気だが、いずれ親はあなたより先にあなたを置いて死へ旅立つのだ。その時、あなたはどうするだろうか。

昔の武士がそうやって心を鍛え、考えを鍛えたように、朝に夕にもしもの修羅場を想定して覚悟を鍛えてほしい。きっとその鍛えた覚悟はあなたの役に立つはずだ。

【札幌タイムス2003年9月25日(木)(24日発行)から、許可を得て転載】

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