【第30回】
反対の時代。変わってしまった家庭、早く軌道修正を
立ち止って日々の生活を良く考えると、このところ、以前と比べて、とても変わってしまったことがあまりにも多過ぎる。ものによっては全く反対になってしまったようだ。だから私は、いつもこんなことを話している。
「いつの間にか、全く反対の時代になってしまいましたね。いいですか、昔は新聞のチラシや雑誌の広告でも、使用前・使用後と比較して、その効果を写真や絵で強調していましたね。使用前といったら、やせて骨ばった姿が出ていて、使用後となると丸々と太った姿が出ていたことを覚えていますか。ところがどうでしょう。いつの間にか今は、使用前と言うと丸々と太った姿が出ていて、使用後となるとすっきりとやせた姿が出ています。気が付いてみると全く反対になってしまいました。どこを探しても、やせた姿が太った姿になる広告を探すことなどは不可能です」
「もうひとつの例は、昔は子どもたちが泣いて親に頼んだのです。『お願いだから、学校に行かせてください』と。しかし、学校に行かせることが出来ない家庭が多くありました。生活のために仕方なく働かざるを得なかった子どもがたくさんいたのです。親も『何としても学校に行かせることが、うちでは出来ないんだ。悪いが、あきらめてくれ』と、つらい返事をしなければならなかったのです。ところが今は、親が子どもに泣いて頼むのです。『お願いだから、学校に行ってほしい』と」
「もうひとつ。昔は社長になったら『おめでとうございます』。そして、会長になったら『ご苦労さまでした』でした。しかし、今は社長になったら『ご苦労さまです』。そして、会長になったら『おめでとうございます』と、言うことが多くなってきたようです。会社経営も大変な時代になっているんですね」
私がこんな話をすると、皆さんも「本当だ。いつの間に、こんなに反対になってしまったんだろう」と、驚かれる。いろんなことがこんなに変わってしまったのだから、以前からの考え方や行動をしても駄目なのは分かり切ったことだ。家庭においても、学校においても、企業においても、そのことに気付いて行動していかなければ、解決の糸口は見つからないだろう。
家庭においては、子どもが変わったと言うが、それ以前に親が変わってしまったのだ。学校においても、児童・生徒が変わったのはもちろんだが、教師も変わってしまった。不登校や学校不適合、その他の問題を抱えた親子と面談をしてきて、私はひとつ、変わったことの原点に気が付いた。
「お宅では、お子さんに家庭での役割として、何か仕事をさせていますか」と、私が尋ねると「いいえ、一切何もさせたことがありません」と、答える親御さんが実に多い。子どもは遊ぶことと、勉強をしていれば良いと考えている親御さんが多いのだ。
そういった風に育てられてくると、感謝の気持ちが育たないのだ。感謝の気持ちが根底にない子どもは、何でも当たり前になり、自己中心でしかものを考えない。そして、人と関われない、自分の役割が分からない、他人の迷惑になっても構わないという子どもになってしまう。それだから、学校崩壊が起きてくるのも無理はない。それも保育園や幼稚園で、すでに起きているのだ。そんな子たちが大きくなるのだから、成人式を迎えても、だらしなく騒いでいるのはうなずける。
先日、時計台で行われた「北海道遠友夜会」に出席した。ほぼ、1年前にスタートした道内各界の行動派の勉強会だ。今再び、新渡戸稲造の精神を勉強しようとする会である。初年度のテーマは「教育—引き継ぐ教育力と大人の責任」で、8回目が"締め"となった。そのテーマの集大成として、安藤修平先生が最後を締めくくる講演をなさるというので、ぜひ拝聴したく思い出席した。私の感じていることと、ずいぶん共通する点があり、得るところが大で、感動し勉強もさせられた。66歳ということであったが、軽く10歳は若々しい姿に、これもまた感心した。
「子どもたちが変わってしまった今、大切なのは学校、地域、家庭の3者が連携すること」とおっしゃっておられたが、私が感じていることと全くイコールであった。これを1日も早く実践していかなければならないのだが、これが大変だ。つまるところ、家庭、地域、学校を地道に啓蒙していくより方法がないのだろうか。
「貧者の一灯」と言おうか、「一隅を照らす」と言おうか、私は自分で出来うる精一杯のエネルギーで、教育現場や地域などで話したり、書いたりしている。教育の原点である家庭での子どもの環境が、すっかり変わってしまっている。
安藤先生はテレビに原因があるとも、おしゃっていた。かつては言語中心で子どもたちが育っていたのに、今はテレビで育ってきている。テレビやゲーム漬けで子どもたちの思考が変わっていると言うのだ。言語脳からテレビ・ゲーム脳と変わってしまっているのだ。だから、学校教育も今までの勉強方法でなく、それに合った指導に変えていかなくてはならないのだろう。
安藤先生は13年間故郷を離れていたが、今春から札幌を拠点に活動を始めたとのこと。私も心から期待している。
私は20年以上も前から、食べ物と心という観点から「食育」を強調しつづけてきたが、今になって、ようやく国も言い出してきた。何を今さらと言いたいが、「食育」がクローズ・アップされてきたことは、うれしい限りだ。食育があって、その上に心が成り立ってくる。
感謝の気持ちが育っていない原因は、小さいうちからの育て方がすっかり変わってしまっているのだ。歩き始める頃から、何か口がきけるようになり始めた時からが、実は大事なスタートなのだ。どんなに小さい時からでも、子どもには家庭での役割を与えることが大切だ。そして「ありがとう」と言ってもらう経験をさせると、他人に対しても「ありがとう」と言う気持ちが育ち、感謝の感情が芽生え出すと私は考える。そして己の存在価値を見いだす一歩が始まる。
私は現在、三世代で暮らしている。毎朝、孫たちが私たち夫婦のベットにやってくる。6歳の男の子は「おはようございます。朝ですよ、もう起きてください」と私たちを起こす役割から始まる。そして「はい、新聞です」と、私に手渡す。まず、ふたつの役割を果たすのだ。
「おはよう、ありがとう。本当に助かるよ。お前はなんていい子なんだろう」と言って、私は彼の頭を撫でてやる。実はとうに私は目が覚めているし、自分で新聞を取りに行って早く読みたいと思うが、彼が来るまでじっと我慢して待っているのだ。時にはいつもより来るのが遅いと、家内と我慢できずに起きてしまい、足音が聞こえると、あわててベットに潜り込んだりする。彼は2歳くらいからずっと、それを行っている。
下の孫は女の子で、まだ2歳にならないが、やはり、お兄ちゃんをみていて自分でも何かしたくて仕方がない。彼女は兄について仏壇に上げるご飯を持ってくる。「はい」と言って家内に手渡す。自分も誉めてもらいたくて仕方がない様子だ。「ありがとう。お利巧だね」と家内が彼女の頭を撫でて、抱き上げる。
彼女は他にも何かやりたくてたまらないのか、あちこちを動き回って、色んなものを私たちのところに持ってくる。その度に「ありがとう」と言われて、うれしくて、うれしくてニコニコしている。その役割を通して、感謝の気持ちを込めて認めてあげるのだ。この時期から、家庭において自分は役に立っているんだ、感謝されているんだ、ということを体に植え付けさせていかなければならない。
昔はどこのうちでも、子どもたちが家の仕事を色々と手伝うのは当たり前だった。トイレ掃除をしてからでなければ学校に行けないとか、それぞれが何かの分担をして、家庭での役割を持たされていた。そこに、自分は役に立っているんだ、という自覚が芽生えていた。今、相談に来る子どもたちの多くが「死にたい。自分は生きている価値がない。何の役にも立たない」などと口走る。そんな子どもに誰がしたのか。そして、そんな子どもたちは、それまで実は何もしたことがないというのがほとんどである。家庭での日々の教育がいかに大切か。
以前、大掃除をするのにぞうきんが足りないので、父母の方々にたくさん作っていただいた。掃除が始まってしばらくすると、生徒たちが「先生、ぞうきんがもうないんです」と言いにきた。不思議に思って教室に行ってみると、ぞうきんは全部ゴミ箱の中に山積みになっていた。彼らはぞうきんに対してティッシュ感覚しか持たず、1度拭いて汚れると、すぐゴミ箱に捨てていたのだ。ぞうきんを洗って絞るということも知らなかったのだ。そして、驚いたことに、先生たちもぞうきんのきちんとした洗い方を知らなかった。
今、家庭で何がどうなってしまっているのか。「変わってしまった」とだけ言って、済ませないことだ。悪く変わってしまったことは、1日も早く良い方向に軌道を変えていかなくては。
【札幌タイムス2003年11月13日(木)(12日発行)から、許可を得て転載】





