【第31回】
転ばぬ先の杖。地震、火事…祖母が教えてくれた日々の備え
一瞬のうちに6千4百人余りの人命を、そして十数万所帯の生活基盤を奪うという未曾有の、甚大な被害をもたらした1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災でさえ、月日が経つといつの間にか、人ごとのように遠いものとなっていく。そんな時に起きた今年9月26日の十勝沖地震には肝をつぶした。
あの日の朝早く、普通でない揺れに私はすぐ目を覚まし、飛び起きた。「地震だ」。少し様子をみていた。おさまるのかと思っていたら、2度目の揺れがやってきた。「今度ももっと大きい揺れだ」。家内と私は身支度を整え、すぐテレビをつけた。驚いたことに、もう地震の情報がテレビで流れていた。一瞬、神戸の地震が頭の中をよぎった。どうなるんだろう。どうしたらいいんだろう。まず、今すべきことはなんだろうと考えているうちに、何とか地震はおさまったからいいものの、これが大地震になり、自分のところも被害をこうむることにならない保証はどこにもない。
「災害は、忘れた頃にやってくる」のだ。落ち着いてから、家内といつやってくるか分からない、火事や地震の備えについて話し合った。以前にも、リュックサックを用意して、色々と詰め込んで置いていたのだが、それも、いつの間にかすっかり忘れて、そのままにしてあった。次の日、懐中電灯や水、カンパンをはじめとして必要なものを買いに行き、一応揃えた。定期的にその中身をチェックして、入れ替えなくてはいけないなどと、反省した。
いつも猛反省をして、その時は実行に移すのだが、それを日々きちんと継続しているかとなると、忙しさに流されて、これがまだまだ駄目なのだ。身に付いていないのだ。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。まさにこれだ。小さな時に親たちからいつも教えられてきたことなのに、情けなくなってしまった。
祖母が元気だった頃、私たちに身をもって教えてくれたことが、今よみがえってくる。
まだ私が幼い頃、真夜中に遠くから消防車のサイレンの音が聞こえ、その音がだんだん我が家に近づき、けたたましい音と共に通り過ぎていった時のことだ。その音のすごさに、私たち子どもは驚いて「火事だ!」とばかりに寝巻姿(当時はパジャマではなく、浴衣のような寝巻を着て寝ていた)のまま、布団から飛び出して、興奮のあまりキャッキャッと騒いでいた。すると、祖母が恐ろしい顔(その頃は、そんな感じがしたものだが)をして、私たちの前に立ちふさがり、大声で叱りつけたものだ。
「お前たち、騒いでないで、ここに座りなさい。また、そんな格好のままで飛び出してくる!服をちゃんと着てきなさい。いいかい、よく聞きなさい。遠くの火事だ、小さい火事だと言って、侮ってはいけない。お前たちは火事の怖さを知らないから、そんな寝巻姿のままの格好でいられるんだよ。遠くの火事だと思って安心していても、風向きが変わって、いつ自分たちも火事に巻き込まれるか分からないんだよ。どんな小さな火事でも、それがどんな火事になるか分からない。もしもの時にそんな寝巻姿でどうするの」
祖母の格好を見ると、なんときちんと着物を着て、帯や腰のところには何やら巻き付けてあって、首には手ぬぐいさえ巻いているのだった。帯には軍手までが挟み込んである。まさに、完全武装というか、その格好を見て、子どもは大声で笑い出した。「いやだなー、おばあちゃん。なに、その格好。大げさだなあ。いやいや、おかしい」と冷やかすと、祖母は「黙りなさい。お前たちは火事に遭ったことがないから、そんなことを言ってられるんだよ。いいかい、おばあちゃんたちはね、明治から今まで3度も火事に遭い、焼け出されているんだよ。火事はいつやってくるか分からない。遠くの火事だって風次第で飛び火して、火の粉が近所まで飛んで来て、そこからまた火災が発生したりするんだよ。大正時代に、遠くの火事で風向きも反対で、自分たちには全く関係ないと思っていたのに、急に風向きが変わって、それも強風になって、あれよあれよという間に火の勢いが増してきて、この辺一帯も全て火の海になってしまい、豊平の中心部が丸焼けになってしまい、私たちは家も財産も失ってしまったんだよ。これはね、札幌の大正時代の大火事という歴史資料にも残っているほどなんだよ。だから、遠くの火事でも、起きたらまず身支度をすぐ整えなさい。それについでだから言っておく。必ず寝る時にはヤカン1杯の水、バケツ1杯の水を用意しておくこと。水道だって出なくなることがある。まして、北海道は冬にはしばれる時がよくある。水道が凍って出ない時でも、やかんの水は飲み水として使えるし、バケツ1杯の水でも小さな火なら消すことができる。火事に巻き込まれた時には体に水をかけることもできる。いいかい、おばあちゃんが首に巻いている手ぬぐいはね、いざとなったら、この手ぬぐいに水をかけて、口にあてて逃げるといいし、女の人は髪に火がつかないように濡らしてかぶるといい。それに煙にまかれたら、必ず部屋や廊下の隅をはって逃げること。分かったかい」
祖母の迫力に圧倒されて、子どもたちは真顔になって聞いていた。
「うん、おばあちゃん。分かったけれど、その帯の上や腰に巻いてあるのは一体何なの?」
「これはね、大事なものを入れるのに、おばあちゃんが自分で作ったんだよ。腰巻や三尺を改造して、中に物を入れられるようにしたんだよ。ほら、チャックを付けて、いろんな物を入れられるように縫ってあるんだよ」
祖母はいつも、どんな小さな火事でも、必ず身支度を整え、大事な物は全て腰に縛り付けて出てきたものだ。その度に少し大きくなってきて、生意気盛りになってきた私たちは、何度その姿を笑ったことだろう。
「また、おばあちゃん。その格好、大げさ過ぎるよ。オーバー、オーバーなの。それじゃまるで戦時中みたいだよ。よその人に見られたら恥ずかしいじゃない。そんな格好で外に出ないでよ」など、私たちが何んと言おうと、祖母は頑としてその姿を私たちに見せ続けた。
そしてある時、家から歩いて数分の、近所にある豊平小学校が火事になったのだ。私たちは、立ち上がる火の勢いに気押されて、ただ、おろおろするばかりだった。その時、祖母は年を感じさせぬきびきびとした動作で皆を指示し、私はその姿に圧倒されるばかりだった。
寝る時、祖母の枕元には必ず衣服が脱いだ順番にきちんとたたんで重ねてあり、起きたらすぐ上から着られるようになっていた。また、通帳、印鑑をはじめとして、大事な物はひとつにまとめて入れてあって、やはり、そばにきちんと置いてあり、何かあった折、緊急時にはすぐに腰に付けられるようにしていた。私たちはその姿を見て笑ったけれども、いざという時には、大事な物は全て身に付けているので、両手は自由に使え、色んな物がすぐ持てたり、動いたりできるのだった。常に整理整頓してあると、どこに何があるのかすぐ分かるので、たとえ電気がつかなくなった時や暗闇の中でも、目をつぶったままで大事なことが少しの時間とわずかな空間で処理できることを、祖母は私たちに教えていたのだ。
確かに夜中の火事で、電気が全くつかなくなる時だって、往々にして起こりうるわけだ。そんな時、手探りで訳もわからず探していたり、物につまづいて転んだりしているうちに火が回り、慌てて何も持てずに下着姿そのまま、外に飛び出していくようなことにもなりかねない。あわてて逃げ出して、しっかり抱いていたのは「枕」だったというのは、ちまたでよく聞く話だ。火事のみならず、地震だって、水害だって、同じことが言えるだろう。
「災害は、忘れた頃にやってくる」と昔から言われている。しかし、人は痛い目に遭わないとなかなかそれが分からず、ついつい日々を過ごしがちなものだ。痛い目に遭っても、分からない人もいる。
祖母がしてきたことの何分の1もできない私だが、その教えの中のいくつかが身に付いている。バケツ1杯の水の教えについても、寝る前に風呂の湯は抜かずに必ずためておいて、床につくようにしている。貴重品などはまとめてひとつにして、枕元に置くようにしている。これは旅行中、ホテルに泊まった時でも同じようにしている。
「転ばぬ先の杖」。祖母の教えてくれた行為や言葉が今になっては、どんなに貴重なことだったかを痛感せざるを得ない。
【札幌タイムス2003年11月20日(木)(19日発行)から、許可を得て転載】





