【第37回】
さっぽろ雪まつり。今1度原点に戻って、市民参加を考えよう
ラジオ局から電話が入った。何かなと思いながら私は受話器を取った。若い女性の声で「池上公介さんですか。あなたはさっぽろ雪まつりの第1回目の雪像作りに参加なさっておりますね。そのことでお電話しているんですが…」
「えっ?ちょっとお待ちください。何かお間違えではありませんか。私は雪まつりに参加した覚えはありませんが…」
「池上公介さんは豊平小学校卒業で、昭和15年生まれですね」
「はい、そうですが…」
「あのですね。第1回目の雪まつりに、豊平小学校の生徒さんたちが雪像作りに参加したはずですが、覚えはありませんか?」
「ああ、あのことですか。そういえば、確か小学校の時に雪像を作った記憶がありますが、あれは大通じゃなくって近所のお寺の境内でしたよ」
「思い出していただけましたか。そうなんです。最初は市内の数カ所でやったんですよ。豊平小学校の生徒さんたちは経王寺の境内だったということですが…」
「ええ、そうなんです。経王寺の境内で担任の先生と一緒にクラス全員でスコップ持って、雪像作りに取り組んだんです。写真も写しましたので、今も持っていますよ。やぁ、なつかしい話ですね」
「何を制作なさいましたか?」
「いやー、制作と言うほどのものではないのですが、熊ですよ。それも、熊が鮭をくわえている姿です。よく昔は観光みやげ店などで、おみやげ用に鮭をくわえている熊があったでしょう。あれですよ。確か、あれを担任の先生が持ってきて、見ながら作ったと思います。結構大きい雪像を作ったんですよ。もう汗だくになったのを思い出しました。へぇー、あれが雪まつりだったんですか。今の今まで、あれが雪まつりの雪像のひとつだったなんて思ってもみませんでした。でも、どうして私が参加していたことが分かったんですか?」
何十年も前のことなので、私はとても不思議に思って聞いてみた。
「記録に残っていましてね。第1回目の雪まつりに豊平小学校の生徒たちが雪像作りをしたということで、その生徒さんの名前の中に池上さんが載っていたんです。それでお電話しました」
「へぇー、そうでしたか。よく分かりましたね」
「今日お電話を差し上げたのは、その第1回目の思い出話をということで、その時のことをラジオ番組の中で語っていただきたいんです。ぜひお願いしたいんですが、よろしいでしょうか」
「ずいぶん昔のことですから、どのくらい話ができるか分かりませんが結構ですよ。でもびっくりしました」
ということで、第1回の雪まつりの雪像を自分が作ったことが分かった。早速、書棚の片隅にある古いアルバムを取り出し、鮭をくわえた熊の雪像の前にクラス全員で並んでいる写真を見つけた。なつかしい小学校のクラスメートたちの横に小さな看板が立ててあり「熊」という題名が書いてあった。そして、何と金賞と貼ってあった。何とあの時、金賞を取っていたのだ。他のクラスも参加していたのに、私のクラスは金賞だったのだ。それで、私に電話が来たのかもしれない。それはともかくとして、私は第1回のさっぽろ雪まつりの雪像制作者のひとりとして、ラジオ番組に出て話をするという経験をした。
さっぽろ雪まつりは、すでにあれから50回以上になり、今では日本中はおろか世界でも知られる大きなイベントになっている。
年々規模も大きくなり、瀋陽、アルバータ州、ミュンヘン、シドニー、ポートランドなど札幌とつながりの深い外国からの参加チームも増えてきて、国際雪像コンクールも定着した。
しかし、残念ながら市民のお祭りからは年々遠くなり、寂しい限りだと思っている札幌市民は、私だけでなく、かなり多いのではないだろうか。
札幌に住んでいるいろいろな人たちに聞いてみると、ほとんどの人が「雪まつり?子どもが小さい時には連れて行ったりしましたがね。今じゃ全然、関係ないっていうか…。観光客のためじゃないですか?もう何年も雪まつりの会場なんて足を運んだことないですよ。これからも行く気はしませんね。だって雪像なんて毎年同じ様なものですからね」と異口同音に言う。
私もその1人だ。私も子どもたちが幼い頃には連れて行ったが、その後は、本州や海外から知人が来た時に案内するくらいで、あとは全くと言っていいほど、雪まつりは自分とは別世界のことのように感じていた。
雪まつりは初期の頃、学生たちが雪像制作をして、数多くの小学校の校庭に思い思いの雪像を作っていた。私の思い出の中でも、高校生の制作した雪像の中には芸術的にも高く評価できるものがあり、その中のいくつかは、今でも脳裏に強く焼き付いている。その他にも、雪の上での野外ダンスパーティーは第1回から行われ、小学生から大人まで参加するとても人気のある行事だった。
私がいつも思い出すのは、夜間に中島公園の池の上で繰り広げられた氷上カーニバルである。様々な服装や仮装をして、たいまつを高く上げてスケートで滑るあの幻想的な光景を、なんとか復活できないものだろうか。温暖化によるものなのか、池がしっかり凍らないので危険なのか、中止した理由は良く分からないが、いつの間にか消えてしまったのは残念でならない。
雪まつりが回を重ねるにつれて、学校以外による雪像が増えていった。第7回以降、それまで雪像制作の中心になっていた生徒たちの参加は見られなくなっていった。それに代わって、自衛隊がその機動力を生かした精巧な雪像を本格的に作り始め、雪像はどんどん大型化していった。今では大雪像は、自衛隊なしでは成り立たないといっても過言ではない。
約半世紀以上がたった今、さっぽろ雪まつりは完全に「参加型」から「観覧型」になってしまった。ここに来て、今1度、市民のための祭典として考え直してみる必要があるのではないだろうか。
雪まつりはどうあるべきか、どんな形にしたら良いか、札幌市民から広くアイディアを募集してみよう。きっと素晴らしいアイディアがたくさん出てくるのではないかと思う。
私はもっともっと、市民全体が参加する雪まつりにすべきだと考える。例えば、会場が大通と真駒内だけでなく、各区ごとにも会場があって競い合ってみてはどうだろう。また、雪だるまをたくさん作って、ギネスブックに載せようなどと既に始まってはいるが、1軒1軒の家の前に雪だるまを家族で作って、市内全域がいろんな雪だるまでいっぱいになるなんていうのも面白い。
町内の道路の両側をアイスキャンドルで飾るとか、雪や氷の美しさを市民皆がいろいろと追求する方法はいくらでもある。私の町内でも2、3年前からポツポツとアイスキャンドルが見え始めた。作り方の講習会もあり、年ごとに軒数が増えてきている。冬の夜がとても幻想的でありロマンチックだ。これを全市的に広げるのだ。
雪まつりの最中のカーリング大会も面白そうだが、これもなくなってしまった。ぜひ復活させたいものだ。犬ぞりのレースも楽しい。雪の街ならではの光景である。私は小さな頃、円山公園や真駒内あたりで犬ぞりが走っているのを見かけては、乗ってみたいなあと憧れをもったものである。こうして考えていったら、私でも次々と魅力的なイベントが沸いてくる。
今の雪まつりは雪像だけに頼り過ぎてしまい、いつの間にか子どもか観光客にしか興味がないものになってしまったのではないのか。大人の市民が、老若男女が、参加できて楽しめるものにしなくては、雪まつりは新鮮味を失い、この先頭打ちになるのでは、と危惧している。
道外や海外の人たちを雪まつり期間中、ホーム・スティさせる企画はどうだろう。冬の市民の生活を体験させることは、ホテルや旅館に泊まるより、もっと積極的に札幌を、北国の生活を見せることにつながっていく。そこに今後、札幌市民とのコミュニケーションが広がりをみせるだろう。
さっぽろ雪まつりのヒントは、小樽・北手宮小学校の雪まつりと札幌1中の雪合戦を結びつけたものと言われている。小樽・北手宮小学校では、昭和10年から子どもたちの手で校庭で雪像を作る行事があったようだ。一方、札幌1中の雪戦会は、高さ8メートルの雪の城を作り、生徒が2組に分かれて城の上に立てられた旗を取り合うものだった。明治時代からの歴史があり、第1回目の雪まつりの中でも行われる予定だったが、会場の都合などの理由で実現しなかった。この伝統ある雪戦会もぜひ復活させて、雪まつりの名物に育ててもらいたいものだ。
雪まつりの期間も長くして、雪像ウィークの後はアイスキャンドル・ウィーク、そして、その後は雪上や氷上カーニバル・ウィーク、その最中に雪戦会あり、雪合戦あり、雪だるま大会あり、カーリング大会あり、と次々と繰り広げ、1カ月でも2カ月でも、札幌市民全体を巻き込んで、連続して行われるようにしてはどうだろう。
市民がまず冬を楽しみ、それによって長期に渡って観光客が札幌に入ってくるようになるのではないだろうか。今1度、雪まつりの原点に戻って考え直す時にきている。
【札幌タイムス2004年1月8日(木)(7日発行)から、許可を得て転載】





