社会に貢献する素晴らしい人間作りに協力します。|池上公介の教育論|2003年度札幌タイムス掲載(全記事掲載中)

【第38回】
失われるけじめ。正月、ひな祭り、端午の節句、七夕に重陽の節句

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暮れから正月にかけて、久し振りに実家で過ごそうと、東京から息子夫婦が孫を連れてわが家にやってきた。元旦には家族全員が着物を着て、正月を祝った。「屠蘇(とそ)」をいただき、おせち料理を囲み「雑煮」をいただくと、正月気分になるものだ。

私は三が日の間はなるべく着物を着るように心掛けている。何と言っても着物を着ると、身が引き締まるし、日本人であるという自覚がしっかりと出来るし、特に正月には着物が似合う。実際に、そんな時でもないと着物を着る機会がなかなかないのだ。

全員、着物姿で初詣に出掛けた。その後、ホテルのスカイラウンジでお茶をしようということになった。席に着いて、あたりを見渡して私は驚いてしまった。何に驚いたかというと、元旦の一流ホテルのスカイラウンジに来ていた人たちの服装にである。元旦にふさわしいきちんとした服装で来ている人たちが稀だったのである。隣の席の家族連れは、親も子どもたちもフリースにジーパン、そしてスニーカーである。後にいた若いカップルは、セーターにジャンパー姿だ。他の人たちもほぼ似たような格好である。

「ハレの日」特別の日は、「ケの日」普段の日とは、食事の内容も身に付ける衣類も異なるものだった。ハレとケの区別をはっきりとしていたものが、この頃は両者の境界もなくなってしまったのだろうか。要するにけじめがなくなってしまっているのだ。場所にしても、全く近所のファミリー・レストランか、スーパーの中にあるラーメン屋にいるのと全く同じなのである。ハレとケの区別もどうやら全くないらしい。

けじめというものを古来、日本人は大事にしてきた。外国でもT・P・Oが大事だとされてきている。

先日も高校を中退して、母親と一緒に面接に来た女の子は、けばけばしい化粧で茶髪にピアスだらけ。そのうえ、超ミニに派手な服、私は驚いてしまった。私は母親にまず言った。

「お母さん、今日は面接ですよ。それにはそれなりの格好というものがあるでしょう。どうしてきちんとさせてこないんですか?」

母親は「言うことを聞かないもんですから…」と言う。そんな子どもにあなたが育てたんでしょうと言いたかったが、母親と娘と2人に聞かせるつもりで、私は娘に言った。

「T・P・Oって、分かる?」

聞かせておけば、いつかは分ってくれるだろう、との思いを込めて私は説明した。

「あのね、TはTIMEの省略、PはPLACE、OはOCCASIONの省略でね、Tは時間、Pは場所、Oは状況で、それに合わせて行動するのが大事なんだよ。例えば、葬儀に出席するとしようか。喪の気持ちを表すことが相手に対しての礼儀です。あっ、喪って分からないの?喪って言うのはね、亡くなった親族が身を慎むことなんだよ。だから、みんな黒の服装をするんだけれど、そんな時に派手な色彩や華美な装飾品を付けたりするのはとても失礼なことです。結婚式やパーティーに招かれたら、祝いの気持ちを表して、華やかな服装になるでしょう。そんな時に、セーターやジーパン姿じゃおかしいよね。スポーツをする時には、それに適した格好をするでしょう。畑仕事や大掃除などの時は、汚れてもいいような格好をするでしょう。時間や場所や状況に応じて、ふさわしい行動を取るのが、T・P・Oなんです。今日のあなたの格好はどうですか?学生にふさわしい姿をするべきです。今の格好じゃ、これから夜のススキノの、それもキャバレーのステージかなんかで踊るためのメーキャップでしょう。キラキラ光るつけまつげ、それは夜のステージに出る時のものですよ。昼間から、そんな濃いアイシャドウなんか付けるものではありません。あなたは分からないかも知れないが、周りからは何て格好だと笑われているんですよ。学校は勉強する場所です。化粧やアクセサリーは必要ありません」と私は分りやすく、彼女に説明した。

こんな場面が、このところとても多くなってきている。

けじめを一番大事にしてきた民族である日本人だったのに、私はとても残念でならない。1年の中に美しい自然に恵まれた春夏秋冬の四季がはっきりとあり、それぞれの季節の楽しみ方や、その時期にふさわしい行事食も伝えられてきた。そうした暮らし方の中にけじめをつけた伝統も価値観も根底からぐらついてきている。

日本人が四季折々に伝え守ってきた五節句も、このところずいぶん、危うくなりつつあるようだ。

1月1日の正月、3月3日のひな祭り、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕、9月9日の重陽の節句は、それぞれが大切なけじめの日として、どの家庭においても行われてきた。

正月は元旦だけではない。私の家は商家だったので、それはそれはきちんとされていた。

元旦でも午後からは従業員総出で、2日からの初荷の準備が始まる。そして2日の初荷には、全員が揃いのはんてんとほまえかけをして、初荷のびっしり乗った何台ものトラックの上に旗がひらめき、ドラム缶の太鼓を叩いたりして景気をつけて、各商店に初荷を下ろしていったものだ。今はほとんど見ることがなくなってしまった。

そして、正月の行事が1月15日まで続いている。「松の内」と呼ばれるのが、この時期である。

よく歌われていた「門松立てて、門ごとに、祝う今日こそ楽しけれ」の門松はどこの家でも飾られ、1月15日の「松の内」が終わるまで、飾られていた。門松が立てられているうち、それが松の内なのである。

日本の大晦日の夜は、静かに除夜の鐘を聞きながら、初詣で、初日の出を荘厳な気持ちで祈るのが日本人の常であったが、今では若者たちが欧米諸国のようにカウントダウンで過ごすというのがはやってきている。

正月の三が日はほとんどの店が休みだったため、3日間は食べ物を調達しなくてもよいようにと「おせち料理」が考えられたのだが、今では元旦からスーパーでも24時間営業をするようになると、おせち料理の意味がなくなってしまうような気がする。

7日の朝の「七草がゆ」は、わが家では欠かしたことがない。正月中、ごちそうや酒で疲れた胃を癒す、休ませるという意味があって七草がゆの風習が始まった。それに1年の無病息災を願いに込めたようである。

1月11日は蔵開きの日だった。一般の家庭は鏡開きの日であろう。その日、祖母は床の間に、蔵開きの日のための掛軸をまず最初に掛けるところから始まった。図柄は蔵の扉が開かれたところに、恵比寿様が片足を米俵に乗せてほほえんでいる。確か鯛を持っていたと思う。しばらく、あの掛軸は掛けていないが、今年は久し振りに掛けてみたいと思っている。蔵の中で三方に乗せて飾ってあった鏡餅を食べて、商売繁盛を祈願したものである。

鏡餅というと、私はこの頃とても気になることがある。鏡餅の名称は、丸い形が古代の鏡に似ている事に由来するといわれる。丸くて白いものには神が宿るということで、食べる時に包丁は絶対に入れてはならないのである。硬くなってひび割れたものを手で割り、お湯の中に入れて柔らかくしてからおしるこやぜんざい、きな粉などでいただくのである。しかし、このところプラスチックでできた形だけの鏡餅の中に、四角い餅がいくつか入っている。本来の意味も何もなくなってしまっているのだ。

そして、15日の朝は、小豆がゆが出てくる。「松の内」の終わるこの日を小正月と呼び、この日、柔らかく煮た小豆、餅をおかゆの中に入れていただくのだが、一般の家庭では果たして受け継がれているのだろうか。

3月3日のひな祭りは、女の子のお祝いの日として今も健在である。このところ、大人の女性がひな壇飾りのセットを求めるとのこと。少女の頃、貧しさでおひな様を親から買ってもらえなかった女性が、自分の為に買い求めるようだ。桃の花を飾ることや、あられや菱餅などもそのまま現在も脈々と続いている。嬉しいことだ。

5月5日は端午の節句で、男の子のお祝いの日だったが、今は「こどもの日」となっている。私は女の子の「ひな祭り」があるのだから、男の子の「端午の節句」としておいた方がよいと思うのだが…。今も男の子がいる家庭では、鎧(よろい)兜(かぶと)を飾り、「鯉のぼり」をなびかせる伝統は続いている。

7月7日の「七夕」も各地で祝い方は違うが、子どもたちはそれぞれの願いを書いた色とりどりの短冊を笹の枝に飾って祝う。ただし、北海道は1カ月遅く行う。

ところが、9月9日の「重陽の節句」は、ほとんど一般的ではなくなり、若い人たちは分からないのではないだろうか。「菊の節句」とも呼ばれ、古来からあり、江戸時代に一般の人々にも広がったということである。これは中国から伝わったそうで、この日に不老長寿を願って神々にグミを捧げ、小高いところに登って菊の花を浮かべたお酒を呑むという風習だったとか…。飛鳥時代に日本に伝わり、皇族たちが菊花の宴を催していたようである。せっかくの菊の季節にどうして、この節句が廃れてしまったのか。日本酒に菊の花びらを浮かばせて、一献楽しむという大人の節句として残しておきたい。こうした色々なけじめが、いつの間にか、なくなってしまっている。

今では、スーパーやコンビニに、いつでも、何でも、季節に関係なく揃っている。わざわざ外国からお金をかけて色々な野菜や果物を輸入してくる。旬という言葉もなくなってしまうのではないか?便利すぎるというのは、実はとっても大切なことを失ってしまうことにもなるのだ。土地のもの、旬のものを大事にすることが日本文化を守ることにもつながっていくのではないだろうか。

私たちの幼い頃は、正月の朝目を覚ますと、まっさらな新しい下着、服がきちんと枕もとにたたんであって、その日に初めて新しいものを身にまとったものである。いつでも、どこでも、何でも買える、何でも食べれるということは、日々がいつも同じで何の感激も感動もなくしてしまったのである。潤いを失いつつある今日の日本人の暮らしの中に、祖先から受け継いだ尊い遺産が今改めて生かされ、さらに次代に伝えられることを切に願う。

【札幌タイムス2004年1月15日(木)(14日発行)から、許可を得て転載】

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