【第40回】
1本のまつげの役目。病気になって知る、健康のありがたさ
今から30年も前、長男が小学校の1年生か2年生の時だったと思う。学芸会を明日に控えて、髪の毛が長くなった息子を床屋に連れて行こうと思っていたのだが、用事が詰まっていて、気が付いたら夜の9時を過ぎていた。仕方がないので、家内が自分で息子の髪を切ってみることになった。
3 人の子どもの髪は、就学前までは全部家内が切っていた。長男はバリカンで丸坊主、娘と次男はおかっぱだった。長男は小学校入学と同時にスポーツ刈りになり、床屋さんに行っていた。うちには昔使っていたバリカンなどの調髪セットがあった。戦後の頃は、どこの家でも自分たちでバリカンを使い男の子の髪を切っていた。ところが、学芸会に出るための髪型はしろうとではできないと、不安もあったようだが、家内はハサミを使ってやってみることにした。床に新聞紙を何枚も広げて、その上に椅子を置き、息子が神妙な顔をして座った。
私は別室で読書をしていた。小1時間もたっただろうか。そこに家内がやってきて、困った顔をして言った。
「ちょっと見に来てくださいよ。私なりに一生懸命にやったんですけどね。あまりうまく行かなくて、色々とやり直しをしているうちに、すごい虎刈りになってしまって…。これじゃ明日、学校にも行けないくらいなの。学芸会の劇の主役だっていうのにどうしたらいいかしら」
家内の言う通り、息子の頭はひどい虎刈りになっていた。
「あなた、これ直せるかしら」
「いやいや、とても無理。これを直せるのはプロしかいないよ」
「今、何時かしら。あらもう10時半よ。この時間では、床屋さんは全部店を閉めているだろうし…。困ったわネ。どうしようかしら。あのままの髪で切らなきゃ良かったわ」
後悔先に立たずだ。
「だめもとで、床屋さんを探してみよう」と、私は電話帳で床屋さんを調べ、片っ端から電話をした。1軒目はもう遅くて電話にも全然出てこなかった。何軒かかけたが、当然断られてしまった。10軒目で、自分の所はもう閉店して従業員も帰ってしまい駄目だが、まだやっているかもしれない所があるから、そこに電話をかけてみたらどうか、と別の店の電話番号を教えてくれた。中央区にある札幌市内でも1番古い理髪店だった。そのご主人は事情を聞いて、こう言った。
「うちも、もう店じまいしてしまったんですが、確かお宅は豊平とおっしゃっていましたね。豊平のどこですか?」
「豊平4条6丁目なんです」
「ああ、それじゃお宅のすぐそばに、うちで修行して今日独立開店した店があるんですよ。まだ若いんですが、きっとやってくれると思います。私からも連絡しておきますから…」
「こんな遅い時間でも、本当にいいんですか。助かります。ありがとうございました」
何とかに仏とはこのこととばかり、私はダイヤルを回した。
「聞いてました。どうぞ来てください。お待ちしています」
時計の針は11時を回っていた。20代半ばの感じの良い若い夫婦が快く私たちを迎えてくれた。
あのとき、私は心優しい若い2人にどんなに感謝したことだろう。家内のホッとした顔を今も覚えている。
プロの腕にかかると、息子の虎刈り頭はあっという間に見事にかっこよい頭へと変身してしまった。翌日、息子が元気いっぱいに登校したことは言うまでもない。
近所にある菅原理容院の夫妻との出会いはこうして始まった。それ以来、私も通い出してから30年が過ぎてしまった。とても仲の良いなかなかおしゃれな夫婦で、いつも元気に私を迎えてくれる。ところが、このところ奥さんの姿が見えない。ゴルフが好きな夫婦だから奥さんはコンペかななどと思いながら、2、3カ月が過ぎた。
ある時、髪を切ってもらいながら「奥さん、このところ見かけないけど、お嬢さんのところ?」。1人娘のお嬢さんが結婚してご主人の仕事の関係でアメリカにいると聞いていたので、私はそう聞いた。
「実は、うちのやつ入院しているんですよ」
「えっ!どうしたの?」
「乳ガンでね」
「あんなに元気な人が?」
「そうなんです。手術してからも抗ガン剤の投与とか、色々大変でね。病院の食事が合わないから僕が毎日届けているんですよ」
「えっ、あなたが!どこかで買って行くんですか?」
「いいえ、僕が作るんです。若いときから自炊してましたから、料理は得意なんですよ。苦にならないんです。僕が作ったものは喜んで食べてくれるんです」
私は感心してしまった。
「大変ですね」
「いや、僕は何も大変でないんですが、女房がね。抗ガン剤の副作用で、髪の毛も全部抜けてしまって、最初はカツラをかぶっていたんですが、それも嫌で、この頃は帽子をかぶってるんです。温泉が好きでしょう。でもね、乳房を取ってるから、温泉では人目も気になるんで…。それもままならないから可哀想でね」
「あの元気な明るい奥さんが…」と、私は胸がつぶれる思いがした。
「よくなってるんでしょう?」
「ある程度良くなって、退院したんですがね。その後の検査で、何か転移しているみたいで、再入院してるんですよ」
「そうですか。それは心配ですね。何とか早く直ってほしいですね」
その後も、髪を切ってもらいに行く度に、奥さんの状態を聞いて、私は一喜一憂していた。
「この頃どうですか?奥さんは」
「おかげさまで、このところ、大分安定しているんですよ。長く入院していると、同じ病気の患者さんたちと仲良くなってね。何か戦友みたいな感じになれるんでしょうね。たまに、みんなでグループを作って温泉に行くんですよ。みんながおっぱい切ってますから、気にすることもないでしょう。みんなでやればこわくないってところでしょうか」
「そうですか。そんなことにも気をつかわなくてはならないんですね」
「ただ、入院仲間で亡くなる人もいるでしょう。その時はショックで精神的にダメージが大きく、しばらく滅入ってしまうんですよ」
「乳ガンや胃ガンは、初期段階で見つかれば大丈夫でしょう。今は」
「それが、発生する場所なんかで、そうでもない場合もあるらしいですよ」
「奥さんの場合は初期だったんでしょう。絶対大丈夫ですよ」
私は心から完治を祈った。
そしていく月かが過ぎた。私は高校の開校準備で髪が伸び過ぎていたが、菅原さんの所に行く時間がなかなかとれない。出張から帰った日曜日に、ようやく菅原さんの店のドアを開けた。なんと奥さんが元気にご主人と働いていた。
「いや、しばらくです。奥さん、もう完全に元気になったんですね」
いつもと少しも変わらない明るいほほえみで私に返事が返ってきた。
「ええ、おかげさまで元気になりました」
髪もばっちり完全に生えていて、元通り。素敵なショートカットが波打っている。とても乳ガンで入院していた人とは思えない笑顔は、完全に回復したことを物語っていた。
「大変でしたね」
「ええ、髪も抗ガン剤を打った後は完全に1本もなくなるでしょう。頭を守っていた毛がないので、すごく気をつかうんですよ。けがでもしたら大変でしょう。眉毛もなくなるし…。1番困ったことは、まつげが1本もなくなるんですよ」
「えっ!まつげまでもですか?」
「ええ、全部抜けてしまうんです。まつげがなくなると、目が開けられなくなるの。まつげがあることで、上まぶたと下まぶたがくっつかないんですよ。まつげがないと、皮膚と皮膚とでくっついてしまい、朝、目が覚めて目を開けようとしても、目が開かないんです」
「どうやって開けるんですか?手で開けるんですか?」
「いいえ、まぶたにかなり力を入れて開けるんです。話をしている時も、まばたきをすると、すぐ、両まぶたがくっついてしまうので、その度に一生懸命力を入れて目を開けなきゃならないんですよ。私のまつげは短いんですけどね。それでも、今までちゃんと役目を持っていたんですね。まつげ1本でも、無駄に付いていないんですね。人間の体のどんな小さい部分でも、毛1本でも役目があるんですね。まつげがなくなって初めて気が付きましたよ」
「へぇー、まつげがなくなると、まぶたがくっつくなんて、夢にも思っていませんでした」
「爪だって変色して真っ黒になるんですよ。それにはがれてくるんです。だから寝るときに少しはがれ始めた爪に、ばんそうこうを巻いて寝るんですよ。夜寝ている時にはがれてしまったら、それこそ、すごい痛さですからね」
普段、健康だと全く気づかない、当たり前であることのありがたさを、人は病や事故で知らされることが多い。奥さんは自分のガン治療を通して、生きていることのありがたさ、そして、まつげ1本でも大事な役目を持っていることを自らの体で知ったのだ。人間の細胞ひとつひとつに感謝している彼女の姿は、以前より増して生き生きと輝いて見えた。
その菅原理容院の真ん前に、この春、池上学院高等学校が開校する。
【札幌タイムス2004年1月29日(木)(28日発行)から、許可を得て転載】





