【第41回】
姿勢の大切さ。芸道でも武道でも、古来、日本人の美しさは背筋に…
家内と2人で初めて英国のロンドンを訪れた時のことだ。本場のアフタヌーン・ティーを味わってみようと、ホテル内のティールームの席を取った。ハイドパークが窓から眺められて、美しい芝生の緑が目にしみた。人を背に乗せた馬が通り過ぎて行く。まるで絵のような光景を眺めながら、ゆったりとした時間が流れていた。紅茶を飲みながら、まわりを見渡した時、私の目は、離れたテーブルに座っている1人の青年に釘付けになった。数名の西洋人と談笑しているインド人の青年は、どの人よりも上品さと気品に満ちあふれ、素晴らしい雰囲気を醸し出していた。気が付いてみると、貴公子を思わせる17歳くらいの青年の姿勢の良さが、その原点だったのだ。
背筋をまっすぐに伸ばして、ゆっくりと会話しているその姿には感動してしまった。一緒にいた西洋人たちはかすんでいた。かつての英国紳士の毅然とした姿があまり目につかなくなり、何となくだらしのないロンドンっ子たちにいささか失望していた私は、求めていた姿をそのインド人の青年に見出したのだ。かなりの教育と教養を身に付けているだろうことを、彼のまっすぐに伸びた背筋が物語っていた。それはまるでどこかの国の王子のようであった。家内もやはり気が付いていた。
「素晴らしいわネ。久しぶりに見る美しい姿勢ね。どんな家族の青年かしら」「インドから旅行に来たというのではなく、英国に住んでいる感じだね。多分、カースト制度のトップ層の貴族の家庭の出身かな」などと私たちは勝手に想像をしていた。
どうしたわけか、私の経験で、姿勢の美しさに感動させられたのは、やはりインド人が続くのだ。
大学生だった時、私はすでに英語の通訳をしていた。インド大使館で通訳の手伝いをしていた時のことだ。日本画家としてはすでに有名であった野島青茲画伯が日展に出展するために、駐日インド大使のグーハー氏の奥様をモデルにして作品を描くということで、私に通訳としての白羽の矢が立ったのだ。
どういうわけで20歳前後の若造だった私がその大役を得たのか、40数年前のことで思い出せない。ただ、グーハー大使の大変立派な自宅を野島先生と訪れた最初の日のことは鮮明に覚えている。天候に恵まれた春も初めの午後だったと思う。リビングの大きな庭に面している側は、全面ガラス張りで、日光がさんさんと降り注いでいた。私はとても緊張して、グーハー夫人をソファに座って待っていた。そこに現れたサリー姿のグーハー夫人の美しさに驚いてしまった。優雅な体の動き、一挙一動が驚きだった。凛(りん)とした気品と優雅さに満ちていた。野村先生が彼女を描こうと思った訳が納得できた。初日は仕事に入らず、話だけだったと思う。今思うと、私を慣らすための配慮だったのかもしれない。
1時間もしただろうか。小学校1年生のご子息が学校から帰ってきた。グーハー夫人が彼を私に紹介した。彼は私に会うと、左手でさっと帽子を取り、背筋をピチッと伸ばし、両足を揃え、姿勢を正して、握手を求めて右手をまっすぐに私に出した。私はまさか小学校1年の少年が、そんなことをするとは予測していなかったので、あわてて右手を出して彼の手を握った。
顔にほほえみをたたえて、きちんとしたキングズイングリッシュで「HOWDOYOUDO?IAMVERYPLEASEDTOMEETYOU(初めてお目にかかります。お会いできてとてもうれしく思います)」と、私に挨拶をした。まさに、すでに小さな紳士だった。寸分の崩れもない完成された美しい姿勢がそこにあった。私は少年に圧倒されてしまった。それから数カ月、私はグーハー邸に通ったのだが、この時の子息の凛とした姿勢は今でも強い印象として残っている。
古来、日本人の美しさは姿勢にあったと思う。着物に帯を締めると、自ずから背筋は伸び、姿勢が整ってくる。着物姿の女性の背筋が、立っている時でも座っている時でも、まっすぐに伸びているのは美しく、気持ちが良い。日本人は昔から華道、茶道、書道をはじめとした伝統的な芸道や柔道、空手、剣道、弓道などの武道も、全て型を通して正しい姿勢を伝承してきた。
しかし、昨今の日本人の中には、ずいぶん姿勢のくずれた人たちを見受けることが多い。若者たちに「気をつけ」の姿勢をきちんとできないのが目につく。学校で正しい姿勢は教えていないのだろうか。昔の学校の教室で座っている生徒たちの写真を見ると、みんながきちんと背筋を伸ばしている。とても美しい。しかし、現在の生徒たちの姿勢はとなると、机に覆いかぶさったり、横に体を曲げて座ったり、椅子に背をもたれかけたり、誠に寂しい感じだ。だらしなく、汚い。
現代の日本人の70%が腰の痛みを持っているという。これは、若い時からの姿勢の悪さが一因であることは確かである。正しい姿勢だと体に無理がかからないから、長時間、集中力が持続できるのだ。背筋がゆるんでいたり、曲げていたりすると、腰骨に負担がかかり、長年の悪い姿勢で背骨が曲がったり、ずれたりして、それが原因で腰の痛みを引き起こすのは、当然のことだろう。たかが姿勢と軽く見たり、侮ってはいけない。形がゆがめば、体も心もゆがむのだ。
小さなずれは、長い年月を経て大きなずれになってしまう。姿勢を正せば、心境も正される。体と心を矯正するために座禅などもあるのではないか。昔の日本人はすごいことを考えていたものだと、つくづく感心させられる。
日本の芸道でも武道でも、上手になる以前に大事なのはそれを通して、己を磨くことにある。私も小学校の時に、近所の寺に書道を習いに行っていた。その時の先生は、習っている生徒1人ひとりに、ひと筆ごとに姿勢を点検してくれた。「上手に書くために習うのではありません。字に表れた自分を磨くことにあるんだよ」と手を取りながら、やさしく耳元でささやいてくれた。ある書家の言葉に「腰骨を立て、背筋を伸ばすと、気力がみなぎり、心構えが整う。雑念が消えて筆を取れば、整った心境がそのままに表れて、よい字が書ける」とあった。
いろんな習い事で、まず形から入れと言われている。正しい姿勢とは、体の中心となるまっすぐな軸を作ることだということを先日、テレビ番組の中で、剣道の有名な先生がおっしゃっていた。確かに中心となる軸がまっすぐになっていることにより、次の動作も正しく振る舞うことができるのだ。これが中心軸が曲がっていたり、片寄っていたら、どうだろう。必ず崩れが出てしまう。これは、あらゆることに通じ、洋の東西を問わない真理だろう。
私の幼い頃の思い出の中で、祖父の姿勢の美しさは脳裏に焼き付いている。自宅では常に着物だったが、座っている姿、歩いている姿、どちらも堂々としていた。今、考えてみると、祖父は常に姿勢を整えていた。お客が訪ねて来た時なども、すぐには客間に入らなかった。必ず、客間の前で襟元、帯などを整え、姿勢をきちんと正してからゆっくりとふすまを開けたものだった。
姿勢の正しさを教えてくれた方が、もう1人いる。市内のデパートの社長さんだった。私がまだ25歳くらいだったと思う。家業が食料品の問屋だったので、その頃、私はデパートに営業に行っていた。急ぎ足で歩いている私を見つけると、彼は必ず丁寧に私に挨拶をしてくれた。私は歩きながら、落ち着きなく、前かがみになって挨拶をしていた。しかし、社長さんは、いつもきちんと姿勢を正して、挨拶をしてくれていることに気が付いた。
ある日、私は特売場のある上層階に急ぎ足で歩いていた。すると、社長が向こうから歩いてきた。「あっ、池上さん」と言うと、彼は歩いていた足を止めた。そして、後ろに左足、右足と下げて姿勢をきちんと正した。そして、おもむろに「毎度ありがとうございます。ご苦労様ですね」と挨拶をなさった。
「あっ、そうか」。私は歩いたままで挨拶をしていた。全く失礼だ。その上、姿勢が崩れてしまっている。また、そこで止まっても、まだ姿勢は正されていないのだ。しかし、社長さんはきちんと立ち止まり、その上、1歩、2歩と足を後に下げて、姿勢を正しているのだ。その上での挨拶だ。若造の一営業マンに対しても、きちんと正しい姿勢に整えてから、挨拶をなさった社長に私は心から敬服した。そして、歩いている時に人に出会った時の美しい挨拶の姿勢を教えていただいたことに今でも感謝している。
気が抜けると姿勢もゆるんでしまう。自然体で正しい姿勢、美しい姿勢になるためには、常に姿勢を意識しなくてはならないだろう。
さあ、今朝も身を引き締めて、丹田(たんでん)に力を込めて、姿勢を整えてみよう。何か全身にエネルギーが満ちてきて、積極的な気持ちになるのではないだろうか。
【札幌タイムス2004年2月5日(木)(4日発行)から、許可を得て転載】





