社会に貢献する素晴らしい人間作りに協力します。|池上公介の教育論|2003年度札幌タイムス掲載(全記事掲載中)

【第42回】
私の宝。私から巣立ち、成長していく生徒たち

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いつの間にか大変な時代になってしまっている。現代文明の1年間での発達は、昔の100年分もやってしまうのではないだろうか。その中でもインターネットの発達は、人と人との伝達を瞬時にやってしまう。インターネットにより、地球上のどことでも、まさに今自分がそこにいるのかのような錯覚さえ起こしてしまう。

60代の私などは、それについていくのが大変だ。それでも、何とかすがって、ほんのその一部の恩恵を蒙っている。その一部とは、メールのやり取りくらいなのだが、それだけでも実に、今まではとても考えられなかったことが起きてくる。

池上学院のホームページから、今朝もメールで送られてきたものをプリントして、担当者が私のところに持ってきた。

その1枚を私は読み始めた。昔の生徒だった清水詠子さんからだ。カナダからだった。

「池上先生、ずっとご無沙汰しております。たまたまサイトで池上学院というのを見つけまして、あっと思い開いて見ましたところ、先生のご活躍ぶりに驚いてしまいました。ただ、ただ脱帽です。本も出されていらっしゃるのですね。若い人たちを教育されて、素晴らしい社会人を生み出すお仕事で社会に奉仕される先生を本当に誇りに思います。そして、お元気そうで本当にうれしく思います。ご家族の皆様はいかがでいらっしゃいますか。待たせたなー、トン・トン愛嬌を振りまいていたお嬢様も立派な大人になられたと思います。あの頃を懐かしく思い出します。先生に英語を教えていただいたのが1972年でしたので、31 年前になります。私も立派な太鼓判付きオールドミスとなりました。カナダのトロントで頑張っております。先生、こちらから先生を応援しています。くれぐれもお体を大切になさってくださいませ。先生とご家族のご健康とご多幸を心よりお祈りしております。清水詠子」

わっー、なんて懐かしい。いろんなことが思い出されてきた。そうか、もう31年も前になるのか。私が詠子ちゃんを教えていたのは。あれは確か、清水さんのお母さんから頼まれたのだ。女子高校生1年生数名が私の自宅に習いに来ていた。彼女たちの共通点は、母親が友人だった。それもなかなか面白い友人なのだ。出産時に同じ産科に入院していた時に仲良くなり、それ以来、自分たちの赤ちゃんを通して、その成長を楽しみながら、ずっとお付き合いを続けていたのだった。子どもたちが高校生になったので、本格的に英語を勉強させたいということになり、私に頼んできたのだった。

箸(はし)が転がっても笑いが止まらない年頃の、彼女たちとのレッスンがなんて楽しかったことだろう。時として、あまり笑いが続いてしまってレッスンが出来なくなるほどだった。それぞれが自分の学校のセーラー服を着て、健康的な女学生たちだった。

その頃は、私の1番下の息子が生まれた時で、レッスンに来る度に赤ちゃんを見たいと言って、ベビーベッドを囲んで皆で息子のほほをさわっては、?かわいい!?とキャーキャー騒いでいたことを思い出す。あの息子が、そう今は31歳になっている。確かに詠子ちゃんが31年前になりますとメールを送ってきたこととイコールだ。月日が過ぎて、その中のひとりはお母さんになって、中学生のお嬢さんを教えてほしいとやってきて、親子2代の生徒になった。

2通目のメールを見た。これもまた、なんと懐かしい。黒坂千冬君からだ。

「ご無沙汰しております。お変わりありませんか?また覚えておられますか?黒坂千冬です。先生のホームページを見て、ついメールしてしまいました。(織田と平と一緒でした・と言えば思い出してもらえるでしょうか?)現在、私は青森の三沢基地に勤務しております。織田から聞いておられるかも知れませんが、操縦者として勤務しております。早いもので、自衛隊に入隊してから約13年が経ちました。今は約8年間乗ってたF4戦闘機を離れ、E2C早期警戒機の転換入校中です。先生のホームページを見て懐かしいと思うとともに、改めて浪人させてくれた親と先生に心から感謝しています。今度札幌に帰省した時は、ぜひ寄らせていただきます!ヨロシクお願いします」

「PS・早いもので私も今年で33歳になります。9歳の男の子の父であります。妻と3人仲良く楽しく暮らしています。航空祭で千歳に飛行機を持って行った時などにご連絡致します!ぜひいらしてください!」

忘れるものか。特に印象に残っている少年だ。色白の目がパッチリした美少年が高校受験に失敗して、中学浪人をしようとがっくりと肩を落として、お父さんと一緒に池上学院の高校受験科に来た日のことを今も覚えている。第3期生として1年間頑張って勉強した彼の姿がよみがえってきた。次から次へと、あの1年間が思い出されてくる。その彼が今は小学生の男の子の父親なんだ。どんな風になってるのかな、今から会うのが楽しみになってくる。

私もさっそく清水・黒坂の両名にメールをしたことは言うまでもない。教える者にとって生徒さんたちの成長を知ったり、見たりすることほどうれしいことはない。

2000年にあと1年を残す1999年に、かつての生徒さんが数名、時によっては2、3名が私の所を訪ねてきた。彼らは30代〜40代になり、各業界の中で活躍しだした人たちだった。青年会議所やロータリークラブ、ライオンズクラブに所属しているメンバーもいた。

彼らは今までは個々に、また数名で訪れてきて、私と時折話をしたりしていたのだが、何とか定期的に私を囲んでの会を作りたいと言い出した。私も懐かしさもあって話だけは聞いていたのだが、その実現はまだまだだなと思っていた。ところある日、数名が訪ねて来て「先生はお忙しいと思いますので、私たちが世話人になって、発起人の準備会を作ります」と言った。

そしてその時、彼らは私にこう言った。

「先生、まず理念を作ってください」

それを聞いて私はとても驚いた。それまでは、私はなんとなく皆が集まって懐かしさを味わう会なのかなと思っていたが、彼らは私の想像以上にずっと成長していたのだ。これは大変だ。私もぼうっとしてはいられない。そこで、さっそく私は理念を作った。

「塾生相互の交流を通して、お互いにより一層の研鑚と親睦を深め、人間としての資質の向上を図る。その力を点から線、さらに線から面と広げ、地域社会はもとより、日本、そして世界に発信し、人類に貢献することを目指す」

その理念をもとに、昔の生徒さんたち10名ほどが3回発起人会を行った。その中で会の名前を決めようと色々な名前が出て、結局「池上未来塾 NEWFRONTIERCREW」と決まった。第1回の会は6月7日に開催された。20名ほどのメンバーが集まった。それ以来、毎月の例会が行われて、現在は35名のメンバーがいる。

会のスタートは私のワンポイント・イングリッシュから始まる。その時、全員が昔の生徒の顔になる。会員卓話や、ゲストスピーチなどもある。ゲストスピーカーは素晴らしい人たちがいらしてくれるのでとても充実している。毎月幹事が変わり、なかなか魅力的な企画が続いている。

2002年には、DPI札幌大会が開催されるにあたって、池上未来塾は支援するために、世界障害者会議支援ネットワーク(グローバルバリアフリーネットワーク)を主催して、陰で色々と応援させていただいた。今後も、きっと色々な面で活躍できるであろうことを期待している。

こうして見ると、私の宝は、はっきりとしてきた。私から巣立って行った生徒さんたち1人ひとり、全員が私のかけがえのない宝なのだ。

【札幌タイムス2004年2月19日(木)(18日発行)から、許可を得て転載】

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