【第43回】
大黒柱。見えない父親の姿、父権はどこへ行った
今朝の電話も家庭内暴力を受けている母親からだった。このところ、この種の相談がとても多い。すっかりおびえてしまっている様子が、彼女の声から伝わって来る。中学2年生の息子から暴力を受けていると言うのだ。色々と話を聞いてみても、なぜか父親の姿が見えて来ないのだ。
こういった例がとても多い。先日の母と娘もそうだった。母娘して父親の悪口を私の前で言い出すのだ。そして、その娘は母親と2人きりになると、母親に暴力を振るっているという。
親の言うことを聞かなくなった子、家庭内暴力にまで発展してしまっている子どもたちの場合は必ずと言っていいほど、その原因は父性・父権の欠如である。
母親は常に子どもたちの前では父親を尊敬している姿を見せ続けなければいけない。
もちろん、男にも色々といる。しかし、子どもがいるからには、子どもたちの前では絶対に夫を尊敬している姿を見せなくてはならない。だが近年は母親が弱くなったというか、母親としてではなく、女だけになってるのではないだろうか。
昔から「女は弱し、されど母は強し」と言われてきた。子育てにおいては、母親の役割は多大である。
ある週刊誌に評論家の桜井よし子さんが自分の母親のことを書いていた。内容は素晴らしい母親に育てられて、自分は幸せだったというものだった。
自分の父親は貿易商で、1カ月に1回くらいしか、家には帰って来なかった。しかし母親はいつも「あなたのお父様は素晴らしい方なのよ。私たちのために一生懸命に働いてくださっているのよ」と言い聞かせてくれていた。だから、たまに家に帰ってくる父親をまぶしいばかりに尊敬のまなざしで迎えたものだった。ところが、祖母と2人きりの時に、祖母が時々変なことを言う。「あなたのお父様には困ったものネ」。それを聞くたびに「おばあちゃんはお父様に対して何てことを言うのだろう。おばあちゃんは少しぼけて来たんだわ」と、自分は思っていた。
自分が成人になった時、実は父親は他の女性のもとに居たことが分かった。しかし、自分の幼い時から成長期にかけて、母親は一貫して父親を尊敬している姿を私に見せ続けた。
というようなことが書いてあった。
現代ならどうだろう。「こんな遅くなってもまだお父さん、家に戻って来ないんだから。また、ススキノで飲んだくれてるんだよ。本当にどうしようもないね。あんたもあんな風になるんでないよ」。なんて、子どもにぐちっている母親の姿が目に浮かぶ。
私は全国での講演でよく幼稚園のお母さんたちを対象に話をする機会がある。その折、園長先生たちからよく言われる言葉がある。
「池上先生、今日のお話の中でどうしても入れてほしいことがあるんですけど、よろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ。どうしても入れてほしいことって何ですか?」
「子どもたちに対してや母親同士で、父親のことをけなさないでほしいんです」
「そんなに父親のことを?」
「ええ、もう聞くに耐えられません」
どうしたことだろう。現実はもうそうなっているのだ。知らぬは父親だけということか。
両親の考え方の違いなど、絶対にあることだ。しかし、子どもの前では、そんな姿を見せず、2人だけのところで大いに口論をすべきだ。そして夫婦間で意思の疎通を図って子どもに当ってほしいものだ。子どもの前では意見を統一すべきである。父親が「駄目だ」と言ったら、母親もどうして駄目なのかを優しく解いて聞かせることだ。それを父親のかげで許している母親がいる。こんなケースは最悪の事態を招くことが多々ある。
夫婦の相互協力が子育てには大事である。一番大事なのが「夫婦仲良く」であることは言うまでもない。これが子どもの教育に影響する。仲良くと同時に、家庭方針を同じにすること、これが食い違っていては絶対にいけない。普段、夫婦がよく会話をしておくことが必要だろう。
母親が父親のことを子どもの前でけなしていたら、必ず父親を尊敬しなくなる。そしてそんなことを言う母親をも尊敬しなくなる。もっと恐ろしいのは、両親を尊敬しなくなった子どもたちは、世の大人をも尊敬しなくなるのだ。
全く言うことを聞かなくなる子どもたちが増えていくことになる。そして幼稚園に入っても保母さん、保父さんの言うことを聞かない状態になり、学校へ行くようになると、学級崩壊、学校崩壊となっていく。その源は家庭における教育にある。
「大黒柱」という言葉さえ、死語になりつつあるほど、家庭における大黒柱の父親の存在感は稀薄になってしまっている。
実は子どもは、偉大な人、尊敬できる人を求めている。偉いお父さん、偉いお母さん、偉い先生を求めている。寄りすがる絶対的なものを求めているのだ。
ところが、少子化と核家族化のために、いつの間にか、うちで1番偉いのは子どもとなってしまっている家庭が増えている。とんでもないことだ。大間違いなのだ。家の中心はお父さん、お母さんだ。子どもは従属。親があって子どもがあるのだ。子どもがあって親があるのではない。同等ではないのに、兄弟のような父親や、姉妹のような母親がいる。これでは上下関係が成り立たない。だから敬語を使わない、いや使えないのか。きちんと子どもたちに敬語を使わせないといけないのだ。敬う気持ちを育てることだ。
学校現場でも、先生に対して全く友達同士のような言葉使いをしているのに、平気でいる教師たちがいる。その場その場できちんと注意して教えるべきだ。
父親は自信と権威を持つべきなのだが、この頃の環境が全く悪い。
ある靴磨きのおばさんが話していたことから、現代の子育ての病巣がはっきりして来た。
ある日、私は札幌の駅前通りを歩いていた。天気がとても良く、気持ちの良い昼下がりだった。ふと靴に目をやると、かなり汚れが目立った。丁度、よいところに、元気の良さそうな70歳前後の靴磨きのおばさんが微笑みかけてきた。
「おばさんお願いします」と、私はおばさんの前に腰をおろした。
「こんにちは、お客さん、今日はいいお天気ですね。こんな日は靴の汚れが目立ちますよね」
元気の良いおばさんは、私の靴を磨きながら話を続けた。
「私ね、公園のそばに住んでいるんです。お天気が良ければいつも仕事に出る前に公園を散歩するんですよ。今朝もね、いいお天気だから、ここに来る前に公園のベンチで日なたぼっこしてたんです。実はね、そこでとんでもないものを見てね。私もう頭に来ちゃったの」
「へえ、おばさん何に頭に来たんですか」
「私が座っているベンチの前でね、小さな女の子たちが5、6人で、ままごと遊びをしてたの。私、可愛いいなあと思って見ていたら、お母さん役の子がね、『はい、ご飯の時間ですよ。お母さんがこれからコンビニに行っておにぎり買って来るから、いい子でいてね』って言ってるんです」
「今の母親がやってることをそのままやってるんですよ。とんでもない。この頃の母親はおにぎりを自分で握らないで、コンビニで買うんでしょ。私たちの子どもの頃は、ままごとをしている時も、母親がやってたと同じように、土を手で一生懸命握ってね。それに枯葉をつけて、おにぎりを作る真似をやりましたよ。それが何ですか今は。そしてもっと驚いたんです。その子がね、可愛い服を着てたので、私が『かわいいオベベ着てるね。誰に買ってもらったの?』って聞いたんです。そしたら『ママに』って答えるものだから、『そうなの。でもねあんたのパパが働いてくれるから、そのオベベが買えるんだよ』って言ってやったんですよ。その子、そのあと何て言ったと思います。『おばちゃん、違うよ。ママがね、銀行に行ってカードを入れるの。そしたら、お金はなんぼでも出てくるんだよ。おばちゃん、分からないの』ですって。振り込み制度がいけないんですね。振り込み制度が。私、もう頭に来てしまって…」
靴磨きのおばさんは、靴を磨く手を止めて、私の顔を見た。
「うーん、そうだね」と、私もうなってしまった。
現代の家庭教育における問題点は2つだ。ひとつは食事、すなわち食育だ。若い親たちに食育をどう浸透させるかだ。これは国もようやく腰を上げ出した。もうひとつは、父性、父権の欠如。なくなってしまったのか、倒れてしまったのか。大黒柱をきちんと立てなくては…。
【札幌タイムス2004年2月26日(木)(25日発行)から、許可を得て転載】





