社会に貢献する素晴らしい人間作りに協力します。|池上公介の教育論|2003年度札幌タイムス掲載(全記事掲載中)

【第48回】
シンプル生活。自分のものはひとつもない、だが全てが自分のものだ

一覧に戻る

朝、窓のカーテンを開ける。なんとすがすがしい、何の悩みもない朝を今日も迎えることができるのかとふと思った時、実は物事に対しての執着がないからだと気が付いた。

自分の物などひとつもないのに、人はどうして、もっともっとと欲望を募らせていくのだろう。あらゆる物、あらゆることに執着をする。欲望を募らせていけばいくほど、ますます不安感や焦燥感、不満足感が出てきて、悩みは尽きなくなるものである。

往生要集(仏教経論集、源信著)に「足ることを知らば貧といえども富と名づくべし。財ありとも欲多ければこれを貧と名づく」とある。かつて日本人の精神の中には、脈々とこの考え方が流れていたはずだ。しかし近年、欲望にとどまることを知らず、身も心も犯された心貧しき人々がちまたにあふれている。政界、財界、そして警察関係、教育関係者までが、己の欲望に翻弄されている。まさに今、日本の行き先が危ぶまれる。

足ることを知る。これはとても大事なことで、この気持ちを持って生活をすると日々が幸せであろう。

自分の収入の範囲内で生活し、いくばくかの貯金を残すことができて平和だったのに、たまたま収入が多くなって、赤字の生活に陥ってしまった例は多い。

私の知人のOLが反省して先日こんなことを言った。

「私は月給が15万円だった時は、毎月貯金を2万円はしていたんです。それが月給が18万円になってから、毎月赤字になって貯金を崩しているんですよね。何でだろうと思ったら、15万円の時は、いかに生活をやりくりするかを考えて、余計なものは買わないで最低限度必要だというものだけを買ってました。それもいかに安く求めるかをきちんと考えて生活していたんですよ。そうすると毎月余裕があって、きちんと貯金ができたんです」

「ところが給料が上がったら、今までは諦めていたものも買えると気が大きくなって、つい買ってしまったり、必要でないものまで、つい衝動買いをしてしまうようになってきたんです。気が付いてみると赤字続きで、それでも、また買ってしまったりするんですよね。収入が増えたと気が緩んでしまったんでしょうか。いつも欲求不満の気持ちがあるようになってしまいました。いつの間にかもっとお金が欲しいと思うようになってるんです。給料が上がってかえって不幸になってしまいました。しかし、上げてしまった生活レベルをなかなか下げられないでいるんです」

彼女はしきりに顔をしかめていた。

人間はあの世に何も持って行けない。己の肉体さえも捨てて行かねばならない。全ては借りもの。魂だけがあの世に行ける。その時何かに執着を持っていたら、なかなかスムーズにあの世に行けないではないか。

私は60歳を超えてからは、何とか自分のものは、ひとつひとつ手渡ししていきたいと考えている。ひとつひとつを人生のラストに向かって整理していきたい。最終的には生まれた時の体ひとつになるために。何もいらない。最低限度生きていくためのものだけに、いかにすっきりさせるかを考えている。

その体さえも自分のものではない借り物である。そうであれば、いかに大事に命のある限り使用させていただくかである。細胞のひとつひとつが24時間休まず、働いてくれている。その細胞ひとつひとつに感謝する。私は入浴のたびに全身の細胞ひとつひとつに語りかける。

「今日1日、一生懸命働いてくれて本当にありがとうございました」

その細胞ひとつひとつが完全に働いてもらうために、良い物を食することは己がするべき大切なことだと思う。土地のもの、旬のものを少なくいただくことこそ、食育の根本である。何でわざわざ遠く外国から、また季節でもないものをお金をかけて食するのか。

欲はもって大いによし。しかしそれは大欲であるべきものなのだ。

カルピスの創業者、三島海雪の「大欲」は私の大好きな言葉である。

「私心を離れよ。そして大志を持て。人間である限り、欲望のないものはない。だが、その欲望は、小さな私欲でなく、もっと大きく、国家、社会に利益をもたらすような欲望を持つことである」

そしてもうひとつ。江戸時代の石門心学の祖、石田梅厳の「都鄙問答」の中に次の文章がある。

「倹約は我が為に物事をしわくするにあらず。世界に三ついるものを二つにして済むようにすることを倹約と言う。我が為にしわいことなすは欲心にして倹約にてはなし。倹約は天下の為になすこと」

この文章を前にする時、私は祖父との幼児体験を思い出す。祖父は私を自分の前に座らせて、いろんなことを話してくれた。倹約とケチとの違いを何度も聞かされた。

「いいか、人間は貧素倹約をしなければいけない。ケチは駄目だ。倹約とケチはな、天と地ほどの差があるんだ。よく聞けよ。自分のために物事をするのはケチだ。つまり欲だな。倹約とはな、天下のため、世の中のため、人間みんなのためにすることなんだ。例えばだな、電球を三つつけているところを二つで済むようにすることを倹約と言うんだ。電気をつけっ放しにすると電気代がかさむ。これを自分が電気代を払うのが惜しい、少しでも安く払うために電気を消すのは、ケチだ。ただし、電気をこまめに消して、エネルギーを無駄に使わないで、少しでも地球全体、人類のために残しておこう。そう思って電気を節約するのは倹約だ。今は分からないかもしれないが、必ず分かるときが来る」

確かに年月を重ねるごとに、その意味がしみじみと分かるようになっていった。そしてある年齢になった時、石田梅厳の文に目が止って私はびっくりしてしまった。祖父は幼い私にこの言葉を噛み砕いてやさしく説いてくれていたのだ。

「子孫に美田を残さず」と言う言葉も、耳にたこが出来るほど祖父から聞かされたものだ。私もこの言葉が体にしみこんで、自分の子どもたちにも今までずっと言い続けて来た。

教育という財産を彼らの体につけたのだから、私は子どもたちに美田を残す必要はないと考える。

「お父さんが一生のうちで、もし財を作ったとしても、それは世の中のものだから、子どもたちには一切残しません」と言ってきたので、3人の子どもたちは「一切いりません」と言ってくれている。

食事ひとつを例に取っても、私はグルメにはなれない。質素な食事のほうが食べていて気持ちが良い。そしてその方が体にも良いのだ。美食をしていると必ず、痛風だ、糖尿病だと病気になってしまうのがおちだ。それはすなわち、美食は人間には駄目だということを教えてくれている。人類はこの地球上に現れてからずっと飢餓の歴史の中にいた。だから人間には飢餓に強く生き抜くDNAがあるのだ。多分人間だけではあるまい。動物、植物もその歴史の中にあって今まで生き抜いて来たはずだ。満足に食べられるようになったのは、ほんの近代においてである。飽食を経験して来てはいないので、美食、飽食には弱いのは当たり前のはずだ。

だから病気になったら、まず断食をするとほとんどの病気から回復することができるのに、病気になって栄養を取らなければと、色々と食べるのは全く反対の行為なのだが…。そう考えて行くと己の食材を少なくすることによって、ほかに対して施して行けるはずだろう。

実は自分のものなどひとつもないのだ。しかし、同時に地球の全ては自分のものだと知るべきだろう。あの山もこの川も自分のもの。だから見たい時にあの山に登ればいいし、この川を眺めればよい。あのレストランだって自分のもの。たまたま誰かがそこを自分の代わりにやってくれている。気が向いた時にあのレストランで食事をしたら、いつも経営していてくれてありがとうと言う気持ちで、その分の料金を払えば良いのだ。

あのホテルだって、このデパートだってみんな自分のもの。それをみんなが自分の代わりに守ってくれているんだと思えばいいのだ。そう考えると、何のために己のために所有しようとするのか。自分が何かを所有する必要などないはずだ。

衣・食・住をそのように考えていくとき、いかにシンプルに生活することが、幸せにつながっていくかが理解できるのではないだろうか。

「シンプル イズ ベスト」「シンプル イズ ビューティフル」。これをモットーにして、これからも生きていけたら幸せだ。

【札幌タイムス2004年4月1日(木)(3月31日発行)から、許可を得て転載】

このページのトップへ

大学受験科夜間個別指導科池上オープンスクール高卒認定試験科高校再受験科
ホーム資料請求お問い合わせサイトマップ

個別面談受付中 TEL0120-372-059 お気軽にお問い合わせください。

<オンラインでの申し込みはこちら>資料請求

プライバシーポリシー

Copyright(C) 2008 IKEGAMI GAKUIN. All rights reserved.